忍者ブログ

Les Confessions

since 2006,6,17 ~ 
MENU

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ビルマの竪琴












ここんとこ  哲学とか教養の本ばかりで頭が疲弊しきっておりましたが

この小説により精神に一握の爽涼を得た気がいたしますです。はい。

まぁわりと何も考えずに読めてたんじゅんに面白かったなぁということなのですが

なにか、ドキリとするものがありました。 水島上等兵の言葉。



わが国は戦争をして、敗けて、くるしんでいます。それはむだな欲を出したからです。思い上がったあまり、人間としてのもっとも大切なものを忘れたからです。われらが奉じた文明というものが、一面にはなはだ浅薄なものだったからです。
……もっと欲がすくなくなるようにつとめなくてはならないのではないでしょうか。それでなくては、ただ日本人ばかりでなく、人間全体が、この先もとうてい救われないのではないでしょうか?


さらっと書いているが深い…仏教の観念から来る人類の精神救済や、功徳について考えなければ水島上等兵の言葉を真に理解することはできないでしょうね。
ところでビルマの当時の小乗仏教てどんなだったんだろうね。

■ 内容↓↓

ビルマ(今のミャンマー)に派兵されて来ていた日本兵たちの話です。

一隊の隊長が音楽大学卒業生ということもあり、何かといえば合唱したり手作りの楽器で演奏したり…
戦争しに来てるわりには和気あいあいとやっていたようです(不覚にも、なんか、トキめいた)。

ジャングルの中で不毛な攻防戦を繰り広げているうちに、日本の敗戦を知った彼らは、敵軍に潔く投降する、とここまではいいのですが

水島上等兵だけひょんなことから行動を別にすることになります。
それ以後かれは消息を絶ってしまうのですが、実は……


という話。(奇想天外なストーリーなのでネタバレは避けます)

戦後日本……焼け野原になった大都市の、飢えた子供たち。
食糧欠乏、闇市と娼婦が氾濫し、米軍の占領下、みんなが不安にいっぱいで「日本はどうなってしまうんだろう?」とおびえていた時代…

そんな時代に日本人の誇りと勇気を取り戻すために

また「若い屍(かばね)を異国にさらし、絶海に沈めた人たち」のために

作者はこの作品を書いたのだと、言っておりました。


当時の日本人は、日本の子供たちは、この作品を読んで何を感じたのでしょうか。

拍手

PR

理系 高杉さん・久坂さん ふたたび

また歴史人物妄想

理系研究者である高杉さん、久坂さん



白衣、ピペットマン、ナス型フラスコ、サニメント手袋、保護メガネ、テルモシリンジ…

研究室には摩訶不思議な理系グッズがいっぱい★

実験動物はふだん三●ラボから買ってるんですけど最近品揃え悪くなった希ガス。

(かといって東京実●動物では極力、買いたくない…個体差けっこうあるんだよな~)



以下、ある日の風景


夜中に実験してるといきなり出現することがあります…そういうときはマジで恐怖です…


有機リン系殺虫剤に耐性のあるGが最近は増えましたね。。
ゴ●ジェット効かないんだもん やんなっちゃうな




アセトン攻撃はたいへんよく効きました。たぶん100%エタノールも有効だと思う。
即時的殺傷効果あり



…という毎日を、過ごしてます

(あいかわらず半分ノンフィクション。。久坂=わたし)

拍手

西南戦争




司馬小説のなかでも『翔ぶが如く』は折々読み返すようにしているのですが
どうも私の萌えが閣僚の陰謀だとか画策だとかの政治的ドラマに集中しているため、
7、8巻以降の西南の役を読みとばしがちです。

だって戦争は…萌えないんだもの。。だって戦争は悲劇だもの!



薩軍の将校タチ。
(薩摩人ほんっとうに滅多に描かないよ。ていうか殆ど初描きでした。→各人物

村田新八が持っているのはアコーディオン
村田さん割と藝術肌で音楽が大好き
(帰宅したらずっとアコーディオンをブーブー鳴らしてたし戦場でも絶対に手放さなかったそうで)
漢詩や和歌も数多く残っているようです。軍人というよりは文人寄りだったのかな?




そもそも『翔ぶが如く』のメインテーマって西南戦争とそれに至るまでの日本史のながれであって、
廟堂の権謀術数に重きがなされているわけでは、ないのですよネ…
私は非常に重要なぶぶんをとりちがえている。

たぶん幕末維新ファンにとっての“近代(革命)戦争”=戊辰戦争なんだけど(私も昔はそう考えていた)
歴史家のなかには
「西南戦争こそが日本史上初の大規模近代戦争であり、日本の近代化への寄与度は戊辰戦争よりもはるかに高い」
と、言うひとも多いのではないか。てことを最近よく考えています。

なぜなら戊辰戦争は始まりと終りがとても曖昧で
各地で頻発していた小規模戦の意義も確固としているわけではなく
ただ なんとなしに火薬庫に火がついたのを触媒作用にして
自動的に始まって広がって終わった……という、フシが、あると思うのです。

それに比べて西南戦争は薩軍にとっても熊本鎮台(政府軍)にとっても
戦争するための、れっきとした大義名分があって
(政府軍には「反乱分子の制圧」薩軍には「西郷暗殺(未遂)事件の詰問」)
戦争の始まりと終りもハッキリしているし
フランス式陸海軍制度の導入と兵学・兵器の発達で戦闘を体系化可能であった点
近代化賛成派・反対派などと対立の構図がはっきり見てとれる点でも

近代戦争としての意義は大きいのではないかな、と思います


でもま、戊辰戦争が 産みの痛み を伴う戦争だったのは事実。その必然性もまた周知のとおりです。


なんてアイロニー



拍手

ベロニカは死ぬことにした




『ベロニカは死ぬことにした』を読了


久しぶりの文学語りですね…。
いえあの読書はぼつぼつしてるんですけども書評を認める時間がなくてねごにょごにょ




「…顔に雨を感じて、魅力的だと思う男性に笑いかけたいの。母親にキスして、愛してると言って、その膝で泣いて、感情を見せることが恥ずかしいだなんて思いたくないの。隠そうとしてたけど、ずっとそこにあったものだから。
 …わたしは自分を、一人の男に、一つの街に、人生に、そして最後には、死に捧げたいの」





あー 一言でいうと 人生を見直す本。

タイトルが衝撃的だし物語も最初は暗い雰囲気だったから、ずっとこんなんが続くかと思われたが、意外と精神が救済された…

毎日 生きていること 変わらないこと 目に見るもの 耳に聞くもの 自分の世界にかかわったもの
すべてのものに感謝しなければ、いけないんだなと。。。そう感じましたね。今ある一瞬を、当たり前と思ってはいけないんだ。

これは本当に困難と挫折と日々の退屈に苛まれる人に読んでいただきたい小説です。

内容↓

若さと美しさと素敵な恋人や家族に恵まれていたが、単調な日々の繰り返しに絶望したベロニカは、自殺未遂をする。

一命はとりとめたものの心臓を壊してしまったベロニカは、たびたび襲ってくる心臓発作に苦しみながら、わずかに残された余命をサナトリウムで過ごしつつ生きることの意味や産まれてきた理由を追及する。


…とまぁ精神病患者のつどうサナトリウムが物語の舞台で
雰囲気はそうだな…トーマス・マンの『魔の山』を抒情的にしたような感
(『魔の山』は肺結核患者の集うサナトリウムが舞台)

精神病院、異常者(ルナティック)、多重人格者、本当は正常人なのに狂っているふりをしてサナトリウムにとどまる知的階級クラブ………

たぶん、パウロ・コエーリョは、「正常人」と「狂人」の境界は極めてあいまいというか有る部分では重なっていること、また「狂人」の定義は正常人と呼ばれる一定の規律に則った人々が勝手に作り上げたもので現実的にはどちらが「狂っている」のかわからない…というかむしろ、抑圧された欲望を抱えて機械的に無難に生きる人間たちこそ異常なのかもしれないと…そういうテーマを織り込んでこの作品を書き上げたのだと思います。

また、有る面からみると とても 宗教色のつよい作品だったなと

たぶんパウロ・コエーリョご自身が敬虔なクリスチャンなんでしょうか

神秘主義的な色も濃いけど(エドアード…) やっぱり海外文学にはどのページにもキリストが潜んでいるようですね

(私自身は無宗教主義者なのでこういう文学作品中の宗教に触れるたびに一寸戸惑いが生じてしまうのですが)

それにしてもベロニカの公開おなに~シーンにはちょっとたまげましたね~;;

これ映画化されてるみたいだけどやっぱりR-15指定になってるんね…

拍手

神よ!私を憐れみたまえ…私は戀をしている。

久々の文学絵。ツルゲーネフの『その前夜』






これも、もうかなり以前に読了したのですが…
ドストエフスキー萌えの延長でロシア文学に手を出していたころ読んだものです。

ツルゲーネフといえば、日本では『初恋』が有名ですよね。
たしか、初邦訳は二葉亭四迷だったように記憶しています。まぁ私が読んだのは、沼野恭子先生の訳でしたけど。

ツルゲーネフは生涯通して政治色の濃い作品を書き続けましたが、『その前夜』もそういった作品のひとつであると言われております。

…そうか?と思ってしまいましたけど;

だって政治色が濃くなってくるのはほんとにほんと、終盤以降でしたもの。

それまでは恋愛問答とかエレーナ嬢の 女王様チックなわがまま暴走 っぷりがメインみたいなものだったと思います(言い過ぎ)。

「愛がなくてどうして生きていけよう?だが誰も愛する相手がいない」


↑インサーロフ、シュービン、ベルセーネフ…3人のイケメンからアプローチされまくっているのに こんなコト言ってのけるんですよ?

いいな。ひとりくらい わけてほしい。

という冗談はさておき、

この本を読んで一番違和感を感じた点。

主人公は結局誰なの。

最初はベルセーネフだと思ってました。(悪いけどシュービンは主人公らしい性格ではナイ。)

けど、途中から登場したインサーロフが主役格を横からさらって行ってしまいました。…エレーナの愛も。

で、終盤に至り、初めてこの物語が、エレーナ嬢によるエレーナ嬢のための物語だったのだと気づきました。
なるほど読み返してみると、この作品中でもっとも心理的記述が多いのはエレーナなのでした。

『愛がなくてどうして生きていけよう?だが誰も愛する相手がいない』
突然に何か強い、名状しがたいものが彼女の中に沸き立ち、しきりに外へ迸り出ることを乞うのであった。


↑これがラストへの布石だったのですね。
彼女はインサーロフと恋におち、祖国解放のためにロシアを去ると言うインサーロフについて行った。
しかし哀しいかな、彼の地でインサーロフは病没。残されたエレーナはロシアへは戻らず、生涯を 夫のなしえなかった事業のために費やす運命を選んだ…。

なんか、ジャンヌ・ダルクみたいですね。戦う女性?ってかんじで。

さて、彼女はインサーロフとの出会い、母国からの出奔を経て、自分の中で生きる意味というか、目的を獲得したのです。

籠の中の鳥だったエレーナの人間的成長──作者ツルゲーネフは、これをテーマの一つに据えたのではないでしょうか。

拍手

× CLOSE

カレンダー

06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

プロフィール

HN:
トリコ
性別:
女性
自己紹介:
漫画・歴史・文学に無駄な情熱を浪費する可哀そうな腐女子。
趣味は文系、専攻は理系。文理両道目指してます。
近代史妄想が激しい。史実と虚実の混同注意報発令中。

:好きな政治(思想)家:
吉田松陰、大久保利通、木戸孝允、山田顕義、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、伊東巳代治、勝海舟、福澤諭吉、浜口雄幸

:好きな文士:
トーマス・マン、ドストエフスキー、ボードレール、アナトール・フランス、夏目漱石、正岡子規、森鴎外、泉鏡花、徳富蘆花、芥川龍之介、三島由紀夫、寺田寅彦、中勘助、太宰治、織田作之助、司馬遼太郎、滝沢馬琴

:人生の聖典:
留魂録、葉隠、歌よみに与ふる書、醒めた炎、竜馬がゆく、魔の山、銀の匙、唯脳論、深夜特急、寺田寅彦随筆集

ブログ内検索

アクセス解析

× CLOSE

Copyright © Les Confessions : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]