『ベロニカは死ぬことにした』を読了
久しぶりの文学語りですね…。
いえあの読書はぼつぼつしてるんですけども書評を認める時間がなくてねごにょごにょ
「…顔に雨を感じて、魅力的だと思う男性に笑いかけたいの。母親にキスして、愛してると言って、その膝で泣いて、感情を見せることが恥ずかしいだなんて思いたくないの。隠そうとしてたけど、ずっとそこにあったものだから。
…わたしは自分を、一人の男に、一つの街に、人生に、そして最後には、死に捧げたいの」
あー 一言でいうと 人生を見直す本。
タイトルが衝撃的だし物語も最初は暗い雰囲気だったから、ずっとこんなんが続くかと思われたが、意外と精神が救済された…
毎日 生きていること 変わらないこと 目に見るもの 耳に聞くもの 自分の世界にかかわったもの
すべてのものに感謝しなければ、いけないんだなと。。。そう感じましたね。今ある一瞬を、当たり前と思ってはいけないんだ。
これは本当に困難と挫折と日々の退屈に苛まれる人に読んでいただきたい小説です。
内容↓
若さと美しさと素敵な恋人や家族に恵まれていたが、単調な日々の繰り返しに絶望したベロニカは、自殺未遂をする。
一命はとりとめたものの心臓を壊してしまったベロニカは、たびたび襲ってくる心臓発作に苦しみながら、わずかに残された余命をサナトリウムで過ごしつつ生きることの意味や産まれてきた理由を追及する。
…とまぁ精神病患者のつどうサナトリウムが物語の舞台で
雰囲気はそうだな…トーマス・マンの『魔の山』を抒情的にしたような感
(『魔の山』は肺結核患者の集うサナトリウムが舞台)
精神病院、異常者(ルナティック)、多重人格者、本当は正常人なのに狂っているふりをしてサナトリウムにとどまる知的階級クラブ………
たぶん、パウロ・コエーリョは、「正常人」と「狂人」の境界は極めてあいまいというか有る部分では重なっていること、また「狂人」の定義は正常人と呼ばれる一定の規律に則った人々が勝手に作り上げたもので現実的にはどちらが「狂っている」のかわからない…というかむしろ、抑圧された欲望を抱えて機械的に無難に生きる人間たちこそ異常なのかもしれないと…そういうテーマを織り込んでこの作品を書き上げたのだと思います。
また、有る面からみると とても 宗教色のつよい作品だったなと
たぶんパウロ・コエーリョご自身が敬虔なクリスチャンなんでしょうか
神秘主義的な色も濃いけど(エドアード…) やっぱり海外文学にはどのページにもキリストが潜んでいるようですね
(私自身は無宗教主義者なのでこういう文学作品中の宗教に触れるたびに一寸戸惑いが生じてしまうのですが)
それにしてもベロニカの公開おなに~シーンにはちょっとたまげましたね~;;
これ映画化されてるみたいだけどやっぱりR-15指定になってるんね…
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