忍者ブログ

Les Confessions

since 2006,6,17 ~ 
MENU

ENTRY NAVI

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

手慰み

なんでもないらくがき。



いつも拍手ありがとうございますv  少し前に歴史エントリにたくさん拍手くださった方、ありがとうございましたvv

歴史のことばっかり一人でウダウダいってますが、ここのところ、歴史に拍手いただくことが多々あって嬉しい限りです。
同好の士に観て貰えているってことだろうか。何やら気恥ずかしい*

今更ですが、念のため申し上げます。
拙BLOGは歴史を元ネタにしていますが、
脳内妄想純度100%の完全なるフィクションでお送りしておりますので、
間違いや、記憶違い、独断、偏見、曲解、誇張、誤認、虚言、空論、都合のよい妄想、史実虚実の混同、等々、いろいろ難がありますゆえ、
歴史の勉強の為にはひとつも役に立ちませんので、ここを御覧下さっている皆さまにおきましては、左様に認識されたし。であります。

まぁ、そんなつもりでここ見ている人はいないだろうけど・・・



ちょっと、仕事と生活が忙しくてオタク活動に時間さけていませんが、そんな中、

アーネスト・サトウ著 『一外交官の見た明治維新』 を再読してみることにしました。

これも、最後に読んだのは十数年前。『竜馬がゆく』読了後、にわか幕末病を発症した若き日のわたくしは、感動冷めやらぬ内に怒涛の勢いで本書を購入したのであった。
『竜馬~』に限らず司馬遼太郎作品の多くに、本書『一外交官の~』からの引用文が散見される。シバリョは、アーネスト・サトウのこと大好きだったに違いない。




四か国連合艦隊に下関を砲撃され、その講和談判のため英国艦に乗り込んできた高杉晋作を見てサトウが、
『さながら魔王のようだった』
とかなんとか評したくだりは、幕末ファン、つーか長州ファン、つーか高杉ファンにとって、
(ネタとして)超有名な話ではなかろうか。

これ、和訳だと『魔王』と書かれているのだが、サトウの書いた原文(英語)では、『ルシファー (Lucifer)』と記述されている。

ウィキペディアによるとルシファーとは、

明けの明星を指すラテン語であり、光をもたらす者という意味をもつ悪魔・堕天使の名である。正統キリスト教、特に西方教会(カトリック教会やプロテスタント)において、堕天使の長であるサタンの別名であり、魔王サタンの堕落前の天使としての呼称である

とあり、私たちの想像する一般的な『魔王』とは、少しく趣を異にしているように思う。
(一般的な魔王、て何。て感じですが…。)

そんな、天使だか悪魔だか堕天使だかよくわからん、得体の知れない神々しさと魔のオーラをまとう高杉晋作、およびその周辺(主に伊藤博文)に萌えるため、ともかくも、再読してみようと思います。


ところで、高杉晋作のアンサイクロペディアが極めて大作で驚いた。

そんでもって伊藤博文のアンサイクロペディアみて腹壊れるほど笑った・・・・・wwwwwwwwwww




拍手

PR

立憲改進党VS立憲政友会

拍手ありがとうございます!!^^


改進党(大隈重信)VS政友会(伊藤博文)
手にもってるのは弁当箱じゃなくてリモコン的な何かです(鉄人28号の正太郎少年がもってるようなの)

立憲改進党は慶應義塾・早稲田など大学党が多いから、学士帽子.

明治十四年の政変・・・伊藤博文らの陰謀により怒涛の勢いで下野した大隈重信。

やっぱ政治家としての才能は、伊藤博文のが何枚も上手だね。
裏でひそかに大隈のこと「改進先生」とか呼んで、ちょっと上から目線だったし

大隈さんは肝心なところでポカやっちゃうよね^^
そこが可愛げのあるところだし憎めないところでもあるけど。



桂小五郎さんの超ハイセンス()なファッションwww

総髪に背広、チェック柄のシャツ(どこで買った)、二本差しに袴 
っていう写真があってだな・・・
 
なんでその恰好で写真撮ろうと思ったの?桂さん 
自分、イケてる☆彡 とか思ってしまったの? …ドヤ顔でさぁ…

しかもあろうことかすぎまご(杉 孫七郎)とペアルックで撮ってるし 

仲、いいね…

桂さん(木戸さん)自分がイケメンなことよく解ってたから
幕末明治で写真撮りまくってて、後世まで沢山写真遺してくれているのですが
ファンとしては、写真たくさん拝見できて幸せだけど、この写真は…なんか…ねぇ?
桂さんのファッションセンスってどうなんだろ・・


ちなみに毛利世子とすぎまごと、そのほかお供の人たちで、(公務で)長崎いったときに
上野彦馬んところの写真館で撮ったんですって。

拍手

副島外務卿~書道家としての次郎さん~



副島さん、自分ちの書生に習字を教えるときは、
「とにかく一画ずつ、できるだけ遅く書け。これ以上ないというほど遅く書け。あとはそれに準じてやれ。どんなに形が悪くても、少しぐらい歪んでも、それは後の問題だ……書く前にそんなことを思うんではない。」
といって教えたそうです。
なんか、遅筆を説く以外のアドバイスが無いんですけど…w 
おおざっぱすぎるわ副島先生


拍手

らくがき

2018年大河ドラマは西郷隆盛ということで、やふーニュースで記事見たときは
一人でひそかにテンション上がりまくりでした。
ふええ、薩摩っぽのイモ掘り大会開催中だよおっ・・・><

しかし、花燃ゆの時の失敗の轍を踏まぬよう、切に願う次第であります。。



拍手ありがとうございますv

日々の忙しさにかまけて、ぼーっとしてたらあっというまに時間がたってしまう。

9月1日は井上馨の命日だったことを今思い出して、あ、すまぬすまぬ、と思いつつ、
ここ数か月無心に読んでいた本ってぶっちゃけ副島種臣と江藤新平と、文藝春秋で連載している西郷どんの小説(『大獄』だっけか)くらいしか、無い…。

木戸日記とか関係文書は、読む、っつーか眺める程度なので、あんまりまともにみてません。

副島本は、探しても廉価で入手できる本が(ほぼ)無い。
そして、困ったときの人物叢書である。せっかく読んだので、少しだけ読書メモを書いておきまっす。

著者 : 安岡昭男
吉川弘文館
発売日 : 2012-02
副島種臣て、太政官初期の頃から参議として中央で活躍してた、いわば第一世代(西郷・木戸・大久保らと同党。伊藤博文らが第二世代)であるのに、史料とか、逸話が少ないんだ、何故か。(書は、やたら残っているが・・)

でも、無い史料をよくここまでかき集めてくれたよね。特に巻末の逸事はおもしろかった。
お葬式の時、自分の棺桶を力士達に担がせるよう遺言したとか、借金までして関取の化粧まわしを作ったとか・・・ 相撲大好きだったんすねw
クソ真面目な御仁、ていう印象だったけど、あんがいお茶目なとこもあったらしい。

副島種臣に関する私の好きな逸話を挙げるなら、たしか大隈重信の回顧録(『早稲田清話』)だったと思う。
長崎で洋学修行をしてたとき、同藩出身で副島より6歳年下に石丸虎五郎(安世)という人がいた。
石丸は長崎に滞在する英国人相手に翻訳業で稼いでおり、当時懐はかなり豊かだった。
んで、大隈の言によると “この(石丸)先生は甚だ道楽な奴で、昼はおとなしくしているが、夜になるといつも丸山(長崎の花街・歓楽街)に繰り出して、きれいなおねーちゃんと遊んでいる。”  遊び人であった。
真面目で謹厳な副島さんはおそらく内心、苦苦しい目でこの石丸を見てただろう。しかしあるとき石丸から、「副島さん、いっしょに丸山行きましょう♡」といきなり声をかけられた。強引な石丸は、とうとう嫌がる副島を無理やり花街へと連れて行ってしまった。…とかいう話だったと思う。

逸事のことばっか言って、まともに歴史の勉強してないようだが(実際そうだが)、近代史中にみる副島種臣の位置づけというものを考えてみたりもした。

対:清・韓国・ロシア外交は、陸奥時代に本格的に始まったものと(なんとなく)思っていたが、副島外交がアジア外交の嚆矢だったのだ。(普通に考えたら、そうなんだけど。)というのも、驚きのひとつ。だって、副島時代の外交ってよく歴史書なんかに書かれているのは、マリア・ルス号事件と台湾割譲問題くらいで、それも詳細な経緯なんて書かれることないし。
ロシアと北方領土問題で激論を戦わせていたことや、対清外交で何度か清国へ赴いたりしている。それから、板垣退助との絡みもあった。これは初耳で、かなり驚いた。民選議員設立建白書って、副島も起草者の一人だったのか(不勉強…)。官を辞してから民権運動なんて関与していないから…これは意外だった。

マリア・ルス号事件の経緯と数回に渡る裁判の内容、国際社会からの評価については、本書の眼目と思われる。つか、開国したてで外交のイロハもまだわからないような弱小国だった日本が、そんな面倒な事件にわざわざ首をつっこんでったのは、おどろきである。副島の親友・江藤新平なんかは、「副島さん、やめときなよ。んなメンドくさい事件、関わらないほうがいいよ。だいたい日本にとってなんのメリットも無いじゃん」などと副島にコメントしていたようだ。まぁ、普通はそう考える。
副島は、外交官であるまえに、道学者なのだ。
国益とか外交上の利害以上に、副島にとって人道に悖る行為が許せなかったのだろう。結果的にこの事件によって、海外からの日本の評価は高まった。

副島の取り巻きの連中でおそらく最もよく登場する人物の一人が、花房義質(はなぶさよしもと)で、この方、ルックスが自分好みのイケメン(…)でステキ!なんて思ってたが(ミーハーですんません)、調べたら、岡山県出身の人だった。つまり、非常に個人的な話題だけど私と同郷なんだよね。
岡山県というところは、昔から洋学が盛んなところで、イネちゃん(シーボルトの娘で大村益次郎の弟子、日本初の女性医師)もいっとき岡山で医学修行をしていたと思う。箕作一族なんかも岡山出身で、幕末のかなり初期にフランスに留学して帰国後は江藤新平(司法卿)の下で『ナポレオン法典』を翻訳していた。
こうしてみると岡山出身の政府要人は、佐賀のリーダーに師事する傾向が、あるのやら無いのやら(どっちやねん)。

拍手

奥多摩サバイバル

山の日に、キャンプいきたい~と思いながら描きかけて
ずっと放置してた漫画を晒してモチベーションアップを図る(続きは気が向いたら描きます^^)
(追記:続き描きました。 9月5日)

拍手ありがとうございます☆★☆

奥多摩視察の名目で、キャンプしに来た伊藤博文・大隈重信・井上馨 
梁山泊トリオほんと好きv







グダグダで終わる・・・なんだこりゃ 
すいません意外と長くなってしまいました。最近忙しくてお絵かきできず遅筆で申し訳ない

徳富蘇峰の本に、
「木戸は、西郷に文句があっても本人に直接言うことは決して無かった。(なぜか)大久保利通に対して、いつも文句たれていた。…」
とかいう文章がありましたね。大久保さん…木戸さんのサンドバッグ役(w)お疲れさまで~すw

にしても、ひどい木戸さん描いてしまった;木戸ファンに叱られる(汗

晩年の木戸孝允って、満身創痍の病気をかかえて、精神的にも病んでしまって、みんなの予想の斜め上を行く奇行もあったし、
怒りっぽかったり泣き易かったり誰かを怨嗟したり批判したりして(主に大久保さんがその標的になってたわけだけど)
やっぱちょっとあたまおかしくなってしまってたんじゃなかろうか。

木戸日記や木戸の関係文書は、きどの死期が近づくにつれて
その文章までも病み衰えていく様子が、よくわかります。  涙・・・




ところで今回久しぶりに桐野利秋(中村半次郎)を描きましたが、実は薩摩人の中でも特別好きな人物だったりします。
なんでかっていうと、超個人的な理由なのですが、その昔まだ高校生だった時分、初めて購入した一次史料が 『桐野利秋日記』 だったのです・・・!!

なんでそのチョイス?てか、なんで桐野利秋?と思われるかもしれませんが(自分でも何で買ったのかもはや不明・・)
私に、“一次史料を読む楽しさ” や、歴史の奥深さを教えてくれたのが
幕末の人斬り中村半次郎、すなわち明治の陸軍中将・桐野利秋、だったのですねえ。よく世間的に語られる桐野利秋って、無頼・無学・無教養…とか言われますけど、日記を読んでその印象を覆されたものです。

彼は日記の中で折々和歌を詠み、短歌や漢詩を認めており、詩趣に富んだ彼のすなおな心境を垣間見ることができます。
いったい、無学無教養な人物がこれだけ優れた詩を書けましょうか?

一次史料(同時代史料、すなわち、当事者の日記、手紙など、その当時の人物が作成した文書類や収集した事物など)は、時代を越えて当人の素顔を見せてくれる、非常に有益な史料なのです^^



おまけらくがき



拍手

× CLOSE

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

プロフィール

HN:
トリコ
性別:
女性
自己紹介:
漫画・歴史・文学に無駄な情熱を浪費する可哀そうな腐女子。
趣味は文系、専攻は理系。文理両道目指してます。
近代史妄想が激しい。史実と虚実の混同注意報発令中。

:好きな政治(思想)家:
吉田松陰、大久保利通、木戸孝允、山田顕義、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、伊東巳代治、勝海舟、福澤諭吉、浜口雄幸

:好きな文士:
トーマス・マン、ドストエフスキー、ボードレール、アナトール・フランス、夏目漱石、正岡子規、森鴎外、泉鏡花、徳富蘆花、芥川龍之介、三島由紀夫、寺田寅彦、中勘助、太宰治、織田作之助、司馬遼太郎、滝沢馬琴

:人生の聖典:
留魂録、葉隠、歌よみに与ふる書、醒めた炎、竜馬がゆく、魔の山、銀の匙、唯脳論、深夜特急、寺田寅彦随筆集

ブログ内検索

アクセス解析

× CLOSE

Copyright © Les Confessions : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]