お久しぶりです。あっというまに年の瀬ですね!はやいはやい。
今年も1年、拙BLOGをご愛顧いただきありがとうございましたv
来年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
とつぜんの 佐 賀 四 傑
大隈&江藤 の小説・本・資史料のたぐいは(やはり人気があるし)比較的簡単に入手できるものの、副島さんと大木さんの廉価で読める本が極端に少ないのには閉口する。司馬遼太郎の『歳月』にも殆ど出てこなかった気がする。
2人ともそこそこ知名度高いと思うんだけどな~…
特に大木喬任(民平)は、明治6年政変(征韓論争)で下野した江藤・副島、14年の政変で政府を去った大隈などと違い、長く政局の座にいた人なので、当然その業績なり事績なりの本が出回っていてもおかしくないと思うのだが、なぜかいつも素通りされている感がある。
大木の功績というと、近代日本の教育制度を充実させ、国家体制の基盤や法制度の構築にも貢献しているので、世間の関心を集め難い人物というわけではあるまい。
大木喬任といえば、あるとき江藤新平に宛てて書いた手紙がかなりビックリする内容だった
そして、萌えた・・ので、以下に拙訳を載せる(自己流なので間違ってたらごめんなさい)。
『 幼いころから、今日に至る20数年の間、僕たちは同じ本を読み、炉を囲んでは共に語り合ったね。君と一日でも会わないと、僕の気持ちは落ち着かなかった。一つの食事や一樽の酒を必ず分け合って、病気になれば互いに助け合い、苦しい時もずっと一緒にいたね。互いの両親を父母と拝し、本当の兄弟のような仲だった。天下に知略の長けた人士多く、交際は広いといえども、きみと僕、それに(今は亡き)中野晴虎の3人の友情ほど深い絆は他にないだろう。20年経った今でも、それは変わらないよ。』 こんな書簡送られたら、惚れちゃうよ~~w
寡言沈黙の人と言われている大木喬任が、手紙ではこんなにも雄弁に江藤を口説く(←?)のかよ!
この手紙は明治6年に書かれたものですが、これ読んで江藤はどんな顔したんだろう?きっと、そうとう照れたにちがいない。
ちなみに書簡中の
中野晴虎(方蔵)とは、藩校時代・義祭同盟時代の盟友で勤皇家。坂下門外の変の嫌疑で捕らえられ、若くして獄中死した人物である。
上記の書簡は重松優の『大木喬任』に一部記載があるのですが、ほかに関係のお薦め書籍があればどなたかご教示ください。
 | 佐賀県立佐賀城本丸歴史館 発売日 : 2012-02 |
佐賀人といえば、久米邦武も非常に強い個性を持っているので大好きだが、
個人的に無視できない魅力がある!と思うのは、佐賀藩主である鍋島直正(閑叟)。
“ 太政官に出仕するようになったけど、会議室は便所に近くて臭くてかなわんし、そのうえ給料も貰えない 。”とかいう内容の非常にハイセンスな句(?)を作ったこの賢候ぶりw
じつに愛すべき殿様だと思うw
