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Les Confessions

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中勘助  おっさん×幼女はええの~

中勘助の『郊外 その二』 読了 
こここれは・・・・ひさびさに衝撃うけた。ニヤニヤがとまらんではないか!!おっさん×幼女の萌大作じゃ

内容: 中勘助(作者)が、学生時代からの友人の娘(妙子さん)をひたすら可愛がって可愛がって可愛がり尽くします。日記体小説。ノンフィクション。ほのぼの通り越して犯罪臭。妙子さんを膝にのせて、抱きしめたり眺めたり、キスしたりキスさせたり。これ検閲の対象にならなかったのがふしぎだよ!!アグネス発狂ものです!!!!!11

以下、印象に残ったシーンいくつか挙げます
(↓これ描きたいがために、久しぶりにSAIを起動させたのであった。)



私はまたひとつキスをして 「これどういうときにするもの」ときく。 「しらない」 「私あなたが可愛くてかわいくてたまらないときにするのよ。あなたも私が可愛くてかわいくてたまらないときするの?」 「ええ、そう」
私はただもう可愛くて可愛くて抱きよせては抱きよせては顔を見つめる。
「あなた私大好き?」
「大好き」
「でも今に忘れちまうんでしょう」
「お稽古が忙しくなれば忘れるかもしれない」
「私どんなに忙しくたってあなたのこと忘れないのに。ひどい」
「そりゃ私子供だから」


 
妙子さんはドーナッツをふたっつもっている。それを私にくれるといって前歯で半分くわえて
「うー」
と後ろを向きながら口をさし出す。私はその外へ出ている半分をくわえて、そして二人いっしょにコリコリと噛み切って食べる。・・・私は「いいこと発明してね。これからこうしましょうね」

 
・・・妙子さんは今日はむしょうに私が好きで、始終私にくっついて
「妙子中さんみたいになりたいなー」
なんて言う。この「中さん」をどんなものと思っているのかしら。


あああ、なんか描いててすごく楽しかったですが、客観的にみるとほんとに。・・中勘助ってもしかして幼児性愛者なんじゃ。。。と思って若干引いてしまった。
だってずっと独身者だったし(美男子だから女にモテたし、求婚されたこともあるのに・・・)
といろいろ考えてたら『中勘助小児愛者的傾向説の検討』/ 堀部功夫 とかいう学術研究も、あるんですね
うわお驚

夏目漱石門下の中で一番目立たない類の人だと思っていたけれど、イロモノという意味で、個性強いな・・と思います。
『犬』とかいう超ドヘンタイ発禁もの小説も描いてるんだよな・・
まあ私、漱石山房@木曜会メンバーの中で寺田寅彦と中勘助が一番好きなんですけどね。『銀の匙』(漫画じゃないよ)はわが人生のバイブルであった。

今ウィキみてたら  勘助の兄嫁・末子は幕末長州の志士入江九一の弟野村靖の娘 です  って
歴史と文学がリンクしたv わーい

菩提樹の蔭―他2編 (岩波文庫 緑 51-3)
菩提樹の蔭―他2編 (岩波文庫 緑 51-3)
犬―他一篇 (岩波文庫)
犬―他一篇 (岩波文庫)
銀の匙 (岩波文庫)
銀の匙 (岩波文庫)

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絵がないのも、あれだから。

いつものように昔の雑絵で誤魔化しておく。(あっ、拍手ありがとうございます**)









絵を描く気力が無くて、かつ日々の生活に追われまくって、全く描いてません

1月の頭に少し描いて以来2か月のあいだ、なにも生み出さないこの右手。(ぢっと手をみるBY石川啄木)

転居を終えて、雪がふって、都知事選にいって、そしてまた雪がふって、ようやく暖かくなってきたが、ぼーっとしたり、そわそわしたり、おちつかない。
妙な浮遊感があり、体調わるいのかな・・と思いつつも、仕事と読書は進む。
ずっと行きたいと思っている、憲政記念館になかなか行けない。

アニメも漫画もさいきん面白いと思わないし、こうして人は、真人間(いわゆるオタクではない人間)になっていくのか・・・
(と人生で何度目かの脱オタの危機に陥る)(周期的にそうなっているけど)

私からオタクを取ると、ただの愛国主義者になってしまうではないか。

とかなんとか、要するに、趣味に没頭できるほど生活にゆとりが無い状態である。環境の変化のせいですかね。
転居後スポーツジムとかかりつけの病院を近所で探さねばと思っているのに、まだ探せていないです(前は家のそばにジムと病院があったから、本当に便利だったんですけど・・)



今年の目標は、葉隠的克己心を身に付け維持すること。あと、健康にも気を付けるのだ。

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長州旅行記 (後編)

■長州旅行記■  (後編)

長くなって申し訳ありません~興味ない方はスルーでお願いします。

in 菊屋横丁 ~なまこ塀 なまこってなんだ~



萩城外堀に広がる城下町は碁盤目状に区画され、そこに武家屋敷が軒を連ねておりました。
現在でもその町並み外観は往時の原型をそのままにとどめており、そぞろ歩くとまるで江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
豪商・菊屋家のあったこの横丁は『菊屋横丁』とよばれ、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、田中義一(26代総理大臣)の生家が並んでいます。
晴れた日には白塗りの“なまこ塀”が陽光を反射し、まぶしいばかりに光り輝く美しい城下町の姿を見せてくれます。
(『日本の道百選』にも選ばれるほど景観はすこぶる良好です。歴史に興味なくても十分楽しい。)

in 高杉晋作の実家  ~これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す!~




高杉が生まれた家。幼少期からずっとここで過ごしました。敷地面積は、さまで広くないんですが日当たりのよい縁側、小さいながら種々の草木を植えたお庭など、高杉家の人びとの優しい温かみを感じさせる、素敵なおうちでした。
こんな落ち着いた素朴な家庭で育った少年・高杉が、なにゆえ後年にいたり鬼神のような暴挙に出て周囲(おもに桂さん)に迷惑を掛けまくることになるのか・・・ふしぎです。ほんと。



in 桂小五郎(木戸孝允)の実家 ~憂鬱(というか苦労性)の貴公子~

桂さんの家は、高杉の家から歩いてスグ!のところなんです。 超ご近所さんだよ~
お互いの家を行き来してたみたいだし仲良かったんですねやっぱ。

お庭(の一部)
ひろい・・! 桂さんちはかなり広いな!という印象でした。もしかして明治になって増設した?のか?解りませんが。やっぱ、上士(エリート武士)だったんだなぁ。金持ちのぼんだったのか。
そういえば書生時代、よく友達に蕎麦とか汁粉おごってましたね(←桂さんの日記にそう書いてあった。)


お座敷も広いです。ここで宴会して泥酔してたのか・・・
周布さん(上司)とお絵描き大会開いたり・・(←日記より)


桂さん幼少時代の習字。「今日」。堂々としてますね 達筆・・なのかな?隣にに赤字で「もってのほか、よろし」と先生のコメントが。
ちなみに桂さん字は上手でも絵が壊滅的にダメです。絵心無い侍。


in 萩博物館 ~貴重な史料の宝庫 なぜか貝殻を無料配布~

菊屋横丁から徒歩数分のところに萩博物館があります。
   萩博ブログ:http://hagihaku.exblog.jp/
幕末ファンにとって有益な情報が多くいつも重宝させて頂いています。


高杉晋作愛用の道中三味線
組み立て式になってる。携帯用三味線だなんておシャンティー極まりないアイテムですね
世間一般に浸透している「高杉は洒脱者」というイメージは、この三味線に代表されるのではないか。(事実、高杉は、身の回りの物にかなりこだわる男でした。コイツもいちおう、ええとこのぼんだからな・・)
萩博の「高杉晋作資料室」には、高杉愛用の品々が多量に保管されており、長州ファン必見の場所なのです!この部屋に住みたい。

オマケ

にこぽん=桂太郎ちゃん★ の帽子
贔屓キャラ愛用品あるとつい写真撮ってしまう。この旅行で総計200枚くらい写真とってたよ・・気づいたら・・怖
ちなみに桂太郎は死後、その遺体が解剖に付せられたのだが、脳の重量は1600グラム(当時の成人男性の平均より300グラムも重かったそう。)でドイツの哲学者カントと同じ重さだったんですって。
この明晰きわまる頭脳で日清日露2度の大戦を勝利へと導いたのか…さすがだぜ太郎!!




以上をもって旅行記の筆を置きます。
とりとめなく何の考察もなく、主観のみで綴った稚拙な内容にも関わらず、御相伴くださり御目を通してくださった方、本当に有難うございました。
とりあえず、私は本意を遂げることができ安心しました…そして久しぶりに趣味のブログを更新することで最近の不幸事に対する溜飲も下がったような心地がします。日頃の鬱積は、やはり趣味で晴らさないとダメだな~。

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長州藩旅行記 (前編)

■長州旅行記■  (前編)

すみません更新めちゃ遅くなりましたが
せっかく行ってきたので超偏狭で異常かつひとりよがりな記録つけておきたいと思います。
マニア向で諸所きもちわるい発言が多数ございますので、ご注意ください
賢明なる閲覧者の方々なかでも山口県行ってみたいとお考えの方は、どうぞ広い心で御一読ください。

in 萩往還   ~旅のはじまり~ ←サブタイトル


左から高杉晋作・吉田松陰・久坂玄瑞

萩城下へ入る前に車で通過するのが萩往還。萩の城下街と三田尻(防府)をほぼ最短で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で 民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしました。
村塾の生徒たちが京都や江戸へ旅立つときに通った街道ですね。  なんかワクワクするんですが! かつて、ここを高杉や久坂たちが往来してたんですね。
高杉なんかはよく、立腹したら勢い余って脱藩しちゃう人ですが、この道通過して非常にしばしば行方不明になっていたんですね!

in 松陰神社  ~松陰先生の御霊が祭られているところ~

 
おみくじ引きました。 松陰先生のありがたい訓辞付きです。明治になって木戸孝允・伊藤博文らの尽力で建立された神社。この神社の敷地内に、松下村塾がある、

松下村塾 ~萌え志士たちのまなびや~



 
こぢんまり。部屋もごく小さいものですが全盛期はここに4~50人がひしめきあっていました。
松陰先生の話を聞きながら庭でモチをついたり、塾に隣した畑で作物を収穫していました。その塾風は大変のどかなものであったそうです。
高杉は、村塾に通うことを親から反対されてたので、夜な夜なこっそり通ってきていました。家が遠い子は屋根裏に居住状態だったので、文字通り昼夜関係なく勉強・議論・遊びに打ち込んでいたみたいです。めっちゃたのしそうですね
ま、幕府からみたら “テロリスト養成所” ですけどね!

in 伊藤博文邸 ~日本一成金諧謔好色男児~

 
初代総理大臣・伊藤博文の家は松下村塾のそばにあります、歩いて2~3分くらいだったかな?
写真のお屋敷、わかりづらいけどかなり立派な邸宅です。この奥にも広い母屋・離れ・庭がある。明治以降に建築された屋敷です。維新後は東京が本拠地になったので、コッチの屋敷は別荘みたいなものだったのか。にしてもりっぱだ、さすが成金は違うな・・・。

 
邸宅内でみつけたアルバムに若かりし頃の写真。
伊藤の写真は、笑顔が多くて本当に楽しい。当時の人々の回想録にも
「伊藤サンは諧謔(ユーモア)のあるひとで、いつもフザけたことばかりしていた。洋服の尻をわざとめくりあげて歩いたり、人を笑わせてばかりいる可笑しな人だった」
などと面白い逸話が多数あります。なんつーか、やんちゃな男の子ですね。


in 久坂玄瑞誕生地跡 ~少年有志の士~

 
ある意味 この旅の目的の場所。

私は長州人好きですが、一番好きなのは、久坂なんだよな。なぜか、とても。
久坂、明治まで生き残ってたら何やってたんだろう。いつも空想します。
久坂こそ、いわゆる “長州人”(長州に住んでた人、という意味でなく、特殊な経験をいろいろと積んだ人という、明治以降の一般的な意味で)だと思うから。

いちおう維新(革命)は遂げたけれど、でも実際はかなりの人(庶民)が死んだので、
社会的には大きなゆがみを抱えたまま明治は始まったのだと思う。少しでも、(久坂高杉とか初期に活躍した人物が)生き残っていたら、きっと日本はもっと違った日本になっていたのだろう。

(長くなってしまったので、本日はココマデいったん切ります。後半は次の記事で)

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寒いですね。都内は雪です。

おひさしぶりでございます。。あれっもう2月か 早いよ~;

拍手ありがとうございます! いつも来てくださる方に申し訳ないほど音沙汰無しBLOGでしんじつもうしわけない


過去ログ(いつ描いたか不明、古いかも)


山田市之允(顕義) 
現代の学ランて戊申の軍服がデザイン元になっているそうで
電車の中で男子高校生の一軍をみると胸がときめきます(腐女子でごめんネ★ミ)


児玉「ああ~、山田(顕義)閣下かっこいいなあv 軍人として有り余る才能がありながら
   民衆のために文門に下った、その志の高さ!俺も軍部辞めて司法の路に転じようかなあ(キラキラ)。」
太郎「はあ?!何言ってんの?ふざけんなし!児玉が文官なんて無理にきまってんじゃん。てか、仕事手伝えし。」

松下村塾の塾生たち。 伊藤博文(俊輔)・久坂玄瑞・高杉晋作
久坂「俊輔、いよいよ京都で活躍できるんだね!おめでとう。松陰先生の言う“飛耳聴目”になって頑張ろうね。
   何かあれば何時でも頼っておいで。僕は大体 藩邸に寝起きしてるから。」
高杉「俊輔のくせにナマイキだな!まあ、しっかりやれよ。桂さんの足手まといになるなよ」
俊輔「(えへへ~)久坂さん、高杉さん、ありがとう。僕、一生懸命がんばります★」

伊藤博文の良いところは、愛嬌があって先輩達から可愛がられるところ(そして出世のためならわりと手段を択ばないところ)かな。長州旅行では伊藤の実家跡地にもいったんですが、ほんとに松下村塾のすぐ裏手なんですね。松陰先生と御近所さんだったのか。。そりゃ塾に入り浸るようになるわい。


陸奥陽之助(宗光)と坂本龍馬
サカモトさん、まっこと男前じゃのう。ほにほに。陸奥がベタ惚れするのも納得のかっこよさ。
(現存する陸奥の書簡の、龍馬に対する執着・憧憬・心酔っぷりがほんとにほほえましく、可愛いです。)


●近況●

実は年明けからさまざまな不幸に見舞われてしまい (仕事、私生活 双方からのダブルパンチで)
絵を描いたりブログを更新したりする余裕が (精神的にも時間的にも) ありませんでした。泣・
しょうじきなところ もうBLOGを閉鎖する勢いで落ち込んでしまい(身内の不幸等あって)
元気を失っておりました。

長年つづけたブログなので愛着もあり かろうじて遊びに来てくださる奇特な方々もいらっしゃるので放置するわけにもいかず
一先ず近況報告にあがった次第であります。
この時期をのりこえたら…なんとか安定するのだ・・(たぶん)!!あと長州旅行記をアップするまでは閉鎖できない切実に

●読書●『死者の書』 といえば一般的にはエジプトの死生観を扱った作品を指しますが
“日本版『死者の書』” では 専ら折口信夫のが有名でしょう。
一部知識人からは折口信夫の『死者の書』こそニッポンの近代文学の金字塔であるといわれているほど。
ただこの作品 非っ常に読みづらかった ^^;
近来の西洋哲学の影響をうけた(明治維新以降の)日本近代文学をずっと読んできたせいか
こーゆう(西洋哲学の影響を排除した)日本の近代文学はかなりわかりづらい。
ああ、こんな考え方ができるから折口信夫の小説はスゴイ!と言われるんだな~と合点はゆきました、でも共感は無理です

論理的・弁証法的な従来の近代文学とはまったく反対で
なんていうかこう・・・神秘的でちょっとオカルトで結局なんなのかよくわからないおとぎ話みたいな内容なのです。
つかみどころがないっていうか・・とにかく“はじめての感覚”を得た作品ではあった。


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プロフィール

HN:
トリコ
性別:
女性
自己紹介:
漫画・歴史・文学に無駄な情熱を浪費する可哀そうな腐女子。
趣味は文系、専攻は理系。文理両道目指してます。
近代史妄想が激しい。史実と虚実の混同注意報発令中。

:好きな政治(思想)家:
吉田松陰、大久保利通、木戸孝允、山田顕義、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、伊東巳代治、勝海舟、福澤諭吉、浜口雄幸

:好きな文士:
トーマス・マン、ドストエフスキー、ボードレール、アナトール・フランス、夏目漱石、正岡子規、森鴎外、泉鏡花、徳富蘆花、芥川龍之介、三島由紀夫、寺田寅彦、中勘助、太宰治、織田作之助、司馬遼太郎、滝沢馬琴

:人生の聖典:
留魂録、葉隠、歌よみに与ふる書、醒めた炎、竜馬がゆく、魔の山、銀の匙、唯脳論、深夜特急、寺田寅彦随筆集

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