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Les Confessions

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手塚治虫の問題発言を模写


誰に孕まされたの?

『やけっぱちのマリア』は手塚治虫の性教育漫画


てか↓記事で誤りがあったので訂正しました…;

なんで間違えるんだよーもう。寝ぼけてんな~寝よ寝よ

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岩倉使節団



伊藤「わ~、すごいご馳走だ。木戸さん見てください、鶏の丸焼きがありますよ!あっちにはブタと牛の肉が!僕、とってきましょうか?」
木戸「いや、私は四つ足は駄目で…俊輔、行儀悪いぞ」
大久保「フ…木戸さん。これから我が国も大いに肉食文化を取り入れ、欧人に対抗しうる強い骨格の日本人を育てねばなりません。そのためにも我々が先ず庶民の手本となり、肉を食すべきなのです」
木戸「肉食か…、胃がもつかな」
大久保「それより先日贈った柚餅、召し上がりました?」
木戸「ああ、松子(妻)が全部食べた。美味いと言って喜んでいたよ。有り難う」
大久保「ガーン(木戸さんに差し上げたのに…)」
伊藤「・・・・・・(黙々と食い続ける)」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(↑使節団のころは大久保さん例のビスマルク髭生やしてません)
「木戸孝允日記」読んでたら、さっむい妄想のタネがつきなくて楽しいですね!

木戸さんがいつかの日記に「今日は大久保から柚餅をもらった」みたいなこと書いてたの思い出して柚餅。このころまだ仲よかったんだよな~二人

岩倉使節団の一員として洋行したとき、初めて見る「異国」に対する新鮮な驚きが木戸さんの日記に生き生きと綴られているのは、読んでいて非常に楽しいものです。

ガーデン・パーティーを初めて体験した木戸さんの日記
「園中に客を会し食菓飯酒」
なるほどそう説明するか。

ガーデン・パーティーをガーデン・ハーチーと表記してることについては
無理につっこみませんとも。

さらに言えば

W(ダブリュー)にトフルユーと意味わかんないルビ打ったり

イギリス人のシメットさんを
「英人シメジ」と表記したり
(粘菌類…?!)

仕方ありませんよね。まだ日本人の誰も、異国文化に慣れてませんものね。

しかし、どうやら木戸さん、英語は苦手だったご様子。

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ついでに

もう一枚


宮沢賢治と保阪嘉内の交流についてもうちょっと

同人誌『アザリア』の4人のメンバーのうち、賢治と保阪は特に仲が良く、手紙のやりとりも頻繁でした。

保阪は石川啄木にあこがれて盛岡中学に入った文学青年。(盛岡中学は石川啄木の出身校)
また演劇好きでもあり、自分で戯曲などつくっていたようです。
あるとき保阪と賢治は二人で岩手山に登り、そこで「誓い」を結ぶ。
このときの「誓い」がどういう誓いなのかは文献に残されていないのですがとにかく誓いを結び、終生かわらない友情を確かめ合うのです。

発行当初、短歌や文学の連載を主とした『アザリア』は、次第に社会主義に傾倒するようになっていきます。
「おい今だ、今だ、帝室をくつがえすの時は、ナイヒリズム」という保阪の文章はいささか刺激が強すぎたらしく、学校当局がこれを見とがめて、保阪に除籍処分を言い渡すんですね。これを聞いた賢治は「自分も学校を辞める!」とえらい剣幕だったらしい(ですが家族の反対にもあって結局卒業した)
その後保阪は母の死をきっかけに文学から離れ、ついに軍人として東京へ。
それでもまだ賢治との文通は続きます。

賢治も保阪に遅れて上京
久しぶりに会えるという期待を込めて、賢治から保阪に手紙を出します。
「暑くっておひどいでせう。私もお目にかゝりたいのですがお訪ね出来ますか。…私は相変わらずのゴソゴソの子供ですから名誉ある軍人には御交際が不面目かも知れませんよ。」 (1921年7月3日)

二人は(おそらく)18日に会ったようです…確かな記録は残ってないのですが
とにかくこの日、二人は心に傷を負うことになります。
保阪の日記を読むと、この日の項は「七月十八日 晴/宮沢賢治/面会来」と書いた字の上から、斜線で消してある。そしてこの日から年末にかけて、日記は空白のまま。
また賢治の方はというと「私の感情があまり冬のやうな工合になってしまって…」と別の人へ宛てた手紙に書いてあります。

これを境に賢治と保阪の往復書簡は急にヨソヨソしくなるんですよね…;
二人の間にいったい何がおこったんだろう
中学であんなに仲のよかった二人、別々の人生をあゆむにつれてその価値観にはスキマが生じてしまったのでしょうか・
なんにせよ、寂しい話だ

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わたくしといふ現象は

仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です


今日は七夕…天の川つながりで宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』より
ジョバンニとカムパネルラ(古い絵…;)

あやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとほってゐたのです。
それでもたしかに流れてゐたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えたのでもわかりました。


宮沢賢治の書く「空気」はサラサラとしてまるで「水」のよう。
こんな文章を絵に描けたら最高だよな~と思う。(無理だ)

私に観念の世界(詩とか)を教えてくれたのは宮沢賢治でした…『春と修羅』は特に大好きで、「心象のはいいろはがねから…」で始まる文章は、いつのまにか暗記してたほど(^^;
詩とか自分には一生理解できないだろな~と思ってたのが覆された中学生時代

:『銀河鉄道の夜』余話:
いったん完成してから賢治が亡くなるまでの9年もの間、推敲に推敲を重ねた作品なんですよね。賢治が亡くなったときも、この作品の原稿が枕元においてあったほど・・

賢治さんは亡くなる2ヶ月前に、親友の河本義行の水死の訃報を受けてます。
この河本って人は、賢治・保阪嘉内・小菅健吉らとともに盛岡農林学校時代に、同人誌『アザリア』を作ったいわば文学少年グループで
朝な夕なに文学について熱く語り合った仲だったのですね(^^*

その河本が遊泳中の青年を救助する同僚を助けようとして川に入り、心臓麻痺か何かで帰らぬ人となってしまったのです。(ちなみに同僚と青年は助かった)

まるで、ザネリを助けようとして川に入りそのまま戻ってこなかったカムパネルラですね。
『銀河鉄道の夜』
自己犠牲のとうとさを切実に説いてる作品に思えて・


どうでもいいけど賢治⇔保阪の往復書簡はほんとに萌ゑるぞ…!なんだあれ!仲よすぎじゃないか

寄り添いて 赤き腕着をつらねたる 電信柱 (←賢治の学生時代の句)

この寄り添いて…って賢治&保阪だよね?!うえー

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ライチってどんな形状してたっけ

そもそも中華をあまり食べることがないので
ライチ…ライチライチライチライチう~~~~ん。
皮がグロい色だったのは覚えてますが。
中身は半透明のまるいやつ(曖昧…

カノン(少女)ジャイボ・ゼラ

「ああジャイボ
 お前はなんて美しいんだ」
ゼラはジャイボ贔屓

この漫画のキャラ上手に描けるようになりたいですね…!最高じゃん
ニコも描きたいな。ロボはMURIぽい。メカニックは不得手

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自己紹介:
漫画・歴史・文学に無駄な情熱を浪費する可哀そうな腐女子。
趣味は文系、専攻は理系。文理両道目指してます。
近代史妄想が激しい。史実と虚実の混同注意報発令中。

:好きな政治(思想)家:
吉田松陰、大久保利通、木戸孝允、山田顕義、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、伊東巳代治、勝海舟、福澤諭吉、浜口雄幸

:好きな文士:
トーマス・マン、ドストエフスキー、ボードレール、アナトール・フランス、夏目漱石、正岡子規、森鴎外、泉鏡花、徳富蘆花、芥川龍之介、三島由紀夫、寺田寅彦、中勘助、太宰治、織田作之助、司馬遼太郎、滝沢馬琴

:人生の聖典:
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