
北海道に住んでいる親友が五稜郭に行ってきたらしく、
土方歳三の写メおくってくれました。
榎本武揚とかも、へへ…!ありがとう
箱館戦争ありがと~~う!早く風邪を治しなさいよ。
ところで、
東軍(旧幕軍)の像しかなかったの?
倒幕派志士スキーの私としては、
西軍(官軍。新政府軍。)の写メとかちょう欲しいわけで、
たとえば
黒田了介(後年の清隆。内閣総理大臣)とか、
山田顕義とか、山田顕義とか山田顕義とか(しつこい)
ああでも山田顕義は五稜郭を攻め落とした人だから、五稜郭(観光業界)側としては問題があるのかも(
蝦夷共和国を滅ぼしたわけだし)。
というより
土方歳三のほうが人気あるだけかも。
史跡って、観光地として成功するかしないかは、歴史キャラ人気によりけりですよね。現代の新撰組・土方歳三人気は本当に凄いと思います。経済動かしてます。
建業唯希(ねが)ふ話聖東(ワシントン)
用兵独り慕ふ拿波翁(ナポレオン)
半宵剣を提(ひっさ)げて寒月を看(み)る
千古の興亡両眼の中市ィの漢詩の中で一番有名なのはこれかしらん?
高杉晋作や久坂玄瑞ほどじゃないにしても、山田顕義も詩作るのうまいです。
そういえば国会図書館には市の漢詩集が蔵されてたと思う…読みたいなぁ!
山県有朋との不仲が彼をして陸軍を辞職せしむることになったワケですがなぜ、「用兵の奇才」とまで称えられた軍人・山田顕義が、「司法」というおよそ軍とは正反対のモノに手をつけたのかというと、彼は
岩倉使節団の理事官として渡欧・視察を行った際、フランスでナポレオンにひじょうに感化されたからであった。
というと「ん?ナポレオンって軍人じゃん、司法関係ないじゃん」とおっしゃる方も、おるやもしれませぬが、山田顕義は「立憲制度を確立した」ナポレオン、すなわち
司法の使徒としてのナポレオンに、あこがれ、心酔し、賛美していたのであった。
※ただし使節団が渡欧した頃ナポレオンは既にこの世を去っていたので、山田がヨーロッパで見てきたのは言わばナポレオンの偉業の「残像」であり英雄化されたナポレオンであり、それは実像ではなく、あくまで虚像岩倉使節団が欧州へ渡航するちょっと前くらいに、ちょうど
プロイセン-フランス戦争があったわけですが、フランスで兵制を見学した山田は、
「やっぱこれからは、軍は、近代的なドイツ式のほうがいいかもなァ~」という素直な感想を持ち、ナポレオン式フランス軍にはあまり関心を示さなかったわけです。つまり、軍人としてのナポレオンには、さほど興味なかったわけですネ。
だからといって、大久保利通のように、
「鉄血宰相ビスマルク萌え~~~~

」と極端なドイツおたくになったわけでもありませんけど。
山田は、性格にやや問題はあるけれど(汗)明治政府で
一番マトモです。一番良識がある。だから彼が夭折
(おそらく山県有朋によって葬り去られた…おそらく)したのは、とーっても!残念なことです。日本史上の深~~~い痛手です。
明治始まってすぐの政府は、木戸・大久保はじめとして
明治政府まるごと暴走してましたから…
近代化模索中というか?メチャクチャでした。ほんとうに、今の日本ができあがったのが夢のように感じられるなあ!
そんな見事な暴走政府。
駆け足の時代。
ともなった犠牲も大きい。

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