えーと
ARIさんから非常に興味深いコメントをいただきましたので(ありがとうございます!)
今回は、Gyaoで配信中の人気アニメ『幕末機関説いろはにほへと』の主人公
秋月耀次郎さんの、人物モデル談義です。

単刀直入に申しますと、私は当初、秋月耀次郎のモデル人物は、
秋月悌次郎ではないか、と思っておりました。名前が似てるから。
お、ちゃんとウィキにあるね
私が秋月悌次郎なる人物を初めて知ったのは、司馬先生の↓エッセイからです。
司馬 遼太郎 / 新潮社
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この本の中に
「ある会津人のこと」という短編があって、それが秋月悌次郎について書かれたものなんですよ。
概説は
コチラにありますが、あまり詳しく書かれてないみたいなので、幕末の秋月悌次郎については、僭越ながらワタクシが簡単にご紹介いたしましょう。
①秋月悌次郎は会津藩士で、松平容保公の側近でした。
②文久三年八月十八日、薩摩藩士・高崎佐太郎とつるんで政変(八・一八の政変)を起こした首謀者側の一人です。
③この政変で薩摩と秘密同盟を結び、政局の京都から過激な尊王攘夷派(おもに長州人)のシメ出しをおこなった。つまり長州人にとって秋月は大々々敵にあたる人。
④しかしその人柄は温厚篤実、学問に秀で部下を愛した。維新後はあの文豪・小泉八雲(代表作『怪談』)から「神様」とか言われたこともあるよ。
⑤京都の政変はうまくいったけど、その後の会津藩は時勢について行く事ができず会津戦争勃発。秋月もこれに参戦するが結局、敗北を喫する。(白虎隊の悲劇もこのとき起こる。)
⑥秋月は同僚の会津藩士・手代木直右衛門といっしょに、新政府軍陣営へ降伏嘆願書を渡しに行った人です。
私が知ってるのはこのへんです。余談ですが、人斬り半次郎どんの日記の中にも秋月悌次郎の名前が出てくるので、参考までに以下に引用する。会津戦争のときのことです↓
「夜、肥後父子(=松平容保とその息子)降伏の使者、秋月悌次郎、手代木直右衛門、小森一貫斎が、軍門へ降伏嘆願申し出る。」(慶応四年 九月十六日)栗原 智久 / PHP研究所
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さあ、史実をズラズラ並べましたが 果たして秋月悌次郎はアニメ主人公のモデルなのでしょうか?
結論から言おう。
たぶん、違うでしょう。(早…)
だって、生い立ちにしろ人格にしろ、二人の共通項目が見つからない。
(…といっても私は、アニメ第一話しか観てないし、耀次郎てば寡黙すぎ。ちっとも喋ってくんないから、どーーいう性格かすら解んないので比較論にならないよ。)しかし
もし名前だけでも秋月悌次郎をモデルとしているならばある予想が浮かび上がる。それは、
このアニメのシナリオを作った、つまり秋月耀次郎という名前のキャラクターを生み出した人物が、おそらく会津ファン≒新撰組ファン。しかも、ちょっとオタク度高めなファンであろう…ということです。
(あ、これは個人的な意見ですのでー…。)だって秋月悌次郎とかぶっちゃけ幕末キャラとしては
そんなに知名度高くないですよねえ
わりと会津人に精通してなきゃ、こんな人知らないんじゃないかしらん・少なくとも私は、僅か16ページばかりの司馬エッセイと半次郎日記でしか、その名を見た覚えが無い。忘れてるだけかもしれないけど
そういうワケで脚本者は新撰組ファンかな?と思ったんです。
つまり私は何を言いたいのかと申しますと、
今後のアニメの展開が
新撰組主体になってくるかもしれないよー不安だよーということです(死
別に新撰組キライじゃなくて寧ろ大好きですが「幕末といえば新撰組!」という現代の固定史観には正直ウンザリだ;
でも新撰組が出なかったらそれはそれでガッカリだ!(超わがまま)
でも耀次郎は海援隊関係者の方なんですよね?だとしたら新撰組とは縁遠い。
そして「龍馬さん大好き

」な子で
用心棒の自分が龍馬暗殺を未然に防げなかったことを悔いて心に傷を負うているくらいなら
暗殺直後、
陸奥くんや高松太郎
(龍馬の甥。海援隊士)達と一緒に紀州藩士相手にケンカふっかけに行ったかもしれない。
(↑
天満屋事件の事ですよ)
ま… ともかくアレですな 憶測は 他にもさまざま 我輩の脳内で飛び交っています。
アニメたった一話しか観てない歴史ヲタのたわごとですのでご容赦ください。
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