
伏見寺田屋にて撮影・坂本龍馬v
青空文庫で
維新史について内藤湖南が興味深いこと言っとる…
「維新史の資料に就て」今日になつて見れば當時幕府に味方した人も、長州並に浪人等を引き立てた人も、皆同じく朝廷の爲め國家の爲めを思うて爲たことであらうから、少しも憚る所なく材料を提供すべきであると思ふ。殊に維新史料編纂局においては、從來若しそれらの材料を調べずにあつたならば、今日においては努めて反薩長派の材料をも蒐集して、公平な態度を執らなければならぬと思ふ。…要するに、勝ち組の薩長に都合の良い史料だけを編纂するのではなく、負け組(会津とか戊申戦争で賊軍だった藩)の言分もよろしく後世へ残すべし、と
内藤湖南は名指しで井上(馨)公を非難してたみたいだけど(^^;ちょっ…この文章よく公開できたな…て、頒布したの大正年代かー大丈夫かな
150年たった今ではかなり公平な眼で見られるようになった維新史ですが、明治はまだ維新騒乱に関わった人が生きてますから、自分に都合の悪い史実は隠蔽したがるのでしょうて。
これ読んで芥川龍之介の
「西郷隆盛」を無性に思い出したんだけど、この作中のある老人も内藤湖南と似たようなこと(現存する史料について懐疑的なこと)言ってた気がする
話を戻すけど
政府が意図的に隠そうとした史実…私が知ってる例で挙げるならば、
新政府軍として戊申戦争に参戦した赤報隊の相楽総三の身におこった悲劇
(新政府に利用され、「偽官軍」の汚名を着せられ、処刑された)
この史実は日本政府がひた隠しに隠していた事実で、暴露されたのは維新がおわって60年もたった後の昭和3年。
相楽総三の孫にあたる木村亀太郎という人が、祖父の冤罪を晴らすべく奔走した努力がみのったものだとかいう話ですよ。
真実が60年間隠蔽されていたっていうのはちょっとただごとじゃないですね;
井上~やっぱりあんたは汚職大臣(←まがりなりにも要職を歴任した人物になんて暴言を…)
戊申の悲劇といえば「会津白虎隊と二本松少年隊」…これは私には忘れられない!
少年隊&白虎隊は16~7歳という年端もゆかぬ少年らで構成された部隊で、賊軍だった彼らは官軍相手にけなげにも果敢に戦ったんですけど
周辺藩の裏切りによって孤立し、進退窮まって「この上は死んで君国に殉じよう」と集団自殺を遂げるのです。
前途ある若者がこうバタバタ亡くなっていくのはつらい…私には耐えられないうう…。
しかし白虎隊の一人、飯沼貞吉のみが奇跡的に生還したため、この悲劇が後世まで伝わることになったのです。
彼が生き残らなかったらこういった悲劇も今の世に知られることがなかったのかもしれませんね。
隠蔽の是非如何以前に、正しい事実を知った人が生き残って初めて史実が残るのだと思います・・
あとは、維新とあんま関係ないけど幸徳秋水の書いた
「文士としての兆民先生」を読んで
東洋のルソーこと中江兆民の「三酔人経綸問答」を読む決意を固めた!
中江兆民やっぱすげえ~~変人変人て聞いてたのでどんな人かと興味津々だったんですが、彼の著といえば高等な漢学知識を有していないと読めないものばかりなので今まで手をつける勇気がなかった(^^;
まぁ、漢和辞典片手にゆっくり読んでみようと思います・わくわくv
