齢十歳の秋山信三郎好古(信さん)と、生まれたての弟・淳五郎真之(淳さん)
御維新で零落した下級武士の家庭事情に漏れず、秋山家も貧困を極め、新たに産まれた淳さんを養う費用がないため、「いっそ寺へやるか」と言う両親のもとへ出てきた信さん
「あのな、そら、いけんぞな…」
と弟をかばう逸話には心あたたまること頻りでございました。
お豆腐ほどのお金っていう形容が如何にも子供らしくて大好きなのです。可愛い。
士官学校入学試験の逸話は可笑しくて笑ってしまいましたがw
田舎から上京したてで、おのぼりさんの信さんは、東京にある「飛鳥山(アスカヤマ)」なる山を知らなかった。
で、「飛鳥山ニ遊ブ」、を、「飛鳥(ひちょう)山ニ遊ブ」と勘違いして作文を書いたと。
信さんのアタマの中には、故郷(松山)の道後温泉の山野にピヨピヨ遊ぶ小鳥の姿しかなかったのです。
それなのに、なんでか試験にパスするんですよね…本当に不思議。採点基準どうなってんのかしら…謎すぎる・
信さんは後年、日露戦争で精強コサック騎兵団に対抗し、大成功をおさめ、弟(真之)にひけをとらないほどの武勲を挙げるのでした。
日露戦争は実に秋山兄弟の功労に依るところが大きかったですねー
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