医療チーム AKA-HIGE みたいな・
絵は上から主人公の保本登、同僚で見習い医師の森半太夫(もり はんだゆう)
そしてヒゲのオヤジが、「赤ひげ」こと小石川養生所の医長、新出去定(にいいで きょじょう)
山本 周五郎 / 新潮社(1964/10)
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山本周五郎=大衆作家=
ゾクブツ? という変な固定観念があって読まず嫌いしてたんですけど一読してバッド・イメージきれいに払拭されました。
「人間ほど尊く美しく、清らかでたのもしいものはない」と去定は云った、「だがまた人間ほど卑しく汚らわしく、愚鈍で邪悪で貪欲でいやらしいものもない」
赤ひげの↑のセリフには…シビれたねえ!
娼家で働く少女が性病に感染しているにも関わらず、雇い主(つまり少女を働かせている人物)が赤ひげの診療を拒否。そこで赤ひげが保本に言ったセリフでしたか。
私は、大学では医療・科学を専攻していまして、将来の医療従事者たるべく知識や心構えなどを学ぶ立場にあるんですが、こういう医学に関連する小説を読むと普段とは違った感慨が沸くんですよね。専門家のハシクレとして。
山崎豊子の
『白い巨塔』とか遠藤周作の
『海と毒薬』を読んでいるときにも、やはりそのような情趣があったなァ。しみじみ。
現代だと、昨今の健康ブームも手伝ってか、感染症・性病・精神疾患などなど病気についての知識が一般人の間に浸透していますが、『赤ひげ』の舞台は江戸時代。庶民にそういう専門知識が一切ありませんから、まず保本や赤ひげのような医療のプロフェッショナル達は、患者およびその家族に
病気の説明を行い治療目的を明らかにする(医学用語でこれを「コンプライアンス」といいます。)事に苦心惨憺するわけです。
ハッキリゆって医療とゆーのは 医療提供者(医者)⇔患者の相互理解があって初めて成立するものですが、江戸時代においてこの相互理解というのがけっこう難しい。
なぜなら
①患者は医者を信用してない(現代に比べて医者の権威がよわい)
②当時の日本の医療科学技術が未発達(漢方中心の医学)
③家庭の医学≒迷信 を鵜呑みにしている人が多い
(風邪をひいたら首にネギを巻くとかコメカミに梅干を塗るとか、そんなんで治るワケないじゃん)
などなど、様々な障壁があって医者は患者の理解を得るのがタイヘンだったりするんですよねー治療はそこから始まるものだし、、、
この小説はそのような 「医者」と「患者」 (または医者と医者、患者と患者)の織り成す人間ドラマがテーマなんです。
赤ひげこと去定先生のシブかっこよさ オヤジフェチにはたまりません。
森半太夫の不健康なエロさがツボでした。
保本登の健全なダメ男っぷりも可愛かった。
(↑どーーーしてそんな穿った見方しかできないの?腐女子だから?)
