●拙者バトン
・このバトンを見たら次に書く日記の語尾すべてに「ござる」「そうろう」をつけねばならぬでござる
・一人称は「拙者」もしくは「それがし」にするでござる
・相手に呼びかける時は「○○殿」もしくは「貴殿」を使うでござる
・日記の最後に回す相手5名の名を記すでござる
・既にやったことがあっても何度でも書くでござる。
さて此度は態々ひまいち殿御下賜被レ下候“拙者バトン”回答到し度御座候
(※薄字は現代語訳)
某千萬軽少之輩 且又何分にもひまいち殿には不敬之段、
始終失敬而巳相何とも奉二恐入一候得共、御丁寧之預二御扱一、
其上何より之“拙者バトン”御恵被二成下一、大慶至極に奉レ存候
(私、ほんとつまんない人間で しかも、ひまいちさんには突然バトンまわしたりとか、
失礼なことばっかして、めっちゃ恐縮してます; なのに御丁寧に扱ってくださって
そのうえ、何よりもこの“拙者バトン”をまわしてくださって超!超!うれしすぎます★)
以下は日記に御座候
昨日 夕刻吉祥寺へ招かれ 合同コンパを催しをり候
友人同行幽霊居酒屋 →http://r.gnavi.co.jp/a390900/ へ到れバ
テレビ局取材の由 グッチ裕三を見ゆ。
(昨日、夕刻から吉祥寺に呼び出されて合コンしました。
友達とユーレイ居酒屋ってとこいったんだけど←ちょい有名な店なの。
なんかテレビ局きててグッチ裕三さんがいらっしゃいました・・・)
酒肴談話数刻 新鮮の魚あり 尤佳味を覚ふ。
大学生社会人男女入乱れて大酔與不覚焼酎数十杯を傾く。
終に退出に及ひ雪隠に倒れ朝に至るを不知。
(お酒にお料理楽しんで、話もいいカンジに盛り上がった!生カキ食べたよ~刺身もうまい!!
合コン相手は日大学生と国士舘法学部学生、それからメディア系の会社つとめてるお兄さん
日大っていやあ学祖★山田顕義ですよ!
酒の興にのって山田山田連呼したら ハァ?って引かれた(死)と思う
焼酎ボトルで注文してカラにしてしまった…で、べろんべろんでトイレに倒れてました。
気付いたら朝だった。朝日がまぶしすぎるぜ★)
法外の大酔近来の一失策に御座候。
(マジで。)
今日二日酔いにわかに大不快にて痛苦憂悶、
容易に平癒むつかしかるべきかと相考え居り申し候得ども、天いまだ捨てざるか、
コンビニに求めしキャベジン(液キャべ)一服早々快気つかまつり候。
(今日は一日中、二日酔いでうげえ~でした。消化管からつきあげる芋焼酎の独特の不快臭!!
たまんねえ。つらいです。いつも反省するのに飲み過ぎる。もう二日くらい立てないかも
と思ってたんだけど液キャベしたら半日で回復した。若いってすばらしい。だけど肝臓酷使しすぎな)
乍二失敬一愚見を以てバトンを差し上ケ度候えども相手を相考え候事不レ能
蓋し廻せる大兄御疑惑御迷歟と乍二慮外一奉二存上一候。
やってみたい人に差上ケ度奉レ存候間、是又宜敷奉レ願候。
(バトンここでストップします。やりたい方はぜひ持って帰って下さい!)
ひまいちさん、こんなステキなバトンをまわしてくださって有難うございました!
超超たのしかったです~~^^v
ていうか私、バトンの規則まもってないですね; ござる そうろう で終わって無いよ!文章。
ところで江戸時代の人は日記や書簡のなかで自分のことを「拙者」って言うことが
あまり無かったんですよ~。
書簡だと、だいたい弟(テイ)とへりくだった表現ですね。某(ソレガシ)もたまにあるね。
幕末の攘夷志士の間では僕(ボク)が流行ってました。(ナウい表現だったんです)
これは、こんにち使われる一人称・僕と違って もっと漢文的ニュアンス
の含まれた表現で、「下僕」の「ボク」。やっぱりへりくだった表現。
いかにも日本人らしく謙譲的な一人称です。
ちなみに日本ではじめて「僕」という一人称を使い始めたのは、吉田松陰先生なんですよ。
松陰先生が使っているのを聞いて、門下生(高杉や桂さん、久坂など)がマネし始め、
やがて全国に広がったのです。
相手のことは大兄(タイケイ)と持ち上げて言います。相手が教師などではなくても尊敬の意で先生と
呼ぶ場合もありますね。まあ現代と同じでしょうね。
木戸孝允(桂小五郎)や高杉晋作も、目下(パシリ)の伊藤俊輔に対してさえ、書簡では
「大兄」と呼びかけたりします。
日記や回顧談、自叙伝などの一人称は余(ヨ)が多いです。
いじょう余談おわり。日本語ってむずかしいね。