■私信(もし、見ていらっしゃれば…)■
ひ…ひまいちさん、拙者バトンのことですがあのー持ち上げすぎです(恥)!
じつは私、独力で書いたのは日記部分だけで、返り点つきの漢文調候文は、
『木戸孝允日記』と『木戸孝允遺文集』と『世外井上公伝』と『学祖山田顕義研究』
という歴史史料(いってみれば、カンペですね…)見ながら書きました;
なんかビックリさせてすみません…私も漢文なんてせいぜい高校のセンターレベルに毛のはえた程度の素養しかないんですYO;お恥ずかしいm(_ _)m
…せっかくなので前々回のエントリ(拙者バトン)で触れた「候文」をもうちょっと延長
させた話題をしてまいりましょー
今回は実際に幕末の維新志士の書簡を読み解いてみようと思います。なぜって?
だって、志士の書く手紙って、とっても萌えなんですものv
笑あり涙あり友情あり、 書簡は時代をこえて私たちに、
書き手の人物…人となりを教えてくれるものです。
で、今日はだれの手紙を公開しようかしらんと悩んだのですが、やっぱここは
高杉晋作さん→桂小五郎さんへの書簡
でキマリでしょう!長州藩の二大★スタア★ですから。
比較的 日本語としてわかりやすく、文章の短いものを、というのを念頭に
書簡集を漁りました。
◆文久2年(1862)9月29日高杉、桂さんを酒楼に誘い出すの巻◆
了海先生の事業を学び居候所、打罷、彦九之節義も出来ず空しく日月を送り、愚か狂か、智か節義か、なんだか訳も分らぬ人物に相成り、夫れだと謂て、天地鬼神に対し恥る心も之無く、人を恐る心も之無く、然らば槁木死灰の工夫が出来るかと思えば左にも非ず、ぶらぶらとして、瓢に未だ酒を入れぬ時の如く、坐りも悪しく、又〆くくりも之無く、江戸っ子の所謂ゴロツキ野郎者耶、寝言はこれにてまく切り」
対州有志士の事已懸念仕居り候故、昨日も御目に掛りたしと存じ呈翰仕り候間、御留守にて其の義を得ず残念に候。右については老兄の身体御処置の所も、弟、御存じより申し上げ度きに附、今日只今、山下外の長腸亭にて御待ち申し上げ候間、早速御出掛下さるべき候よう願い奉り候。長腸亭は例の麻田翁のよく入らしゃるる酒楼に御座候。何卒御出浮の程待ち奉り候。頓首。
念九
楠樹生拜
●口語訳↓(あまり正確でなかったらごめんなさい;汗)●
了海先生
(熊沢蕃山/京都の人、陽明学者)の事業を学んでいたけれど、やめてしまいました。
高山彦九郎
(勤皇家。当時、多くの攘夷志士の思想に影響を与えた)への節義も実行できず、むなしく月日を送っています。
愚なのか狂なのか、あるいは智なのか節義なのか、
なんだか僕は訳のわからぬ人間になってしまいました。
だからと言って天地の鬼神に対して恥じる心もなく、他人を恐れる心もありません。
とはいえ意欲が無い者なりに、何か工夫が出来ないものかと思うけれど、そういうことも無く、
ぶらぶらとして、まるで瓢(ひさご)に酒を入れない状態のように
尻の坐りも悪く、締めくくりもなく、
江戸っ子のいわゆる“ゴロツキ野郎者”、といった調子です。
寝言はこれにて幕切り。」
対馬藩の同志のこと
(※注1)ばかりが気がかりです。
昨日も貴方にお会いしたくて書状を差し上げたのですが、御留守だったので、目的を果たせず残念です。
そのことについて貴方の身の御処置の事も僕は知っていますので、申しあげたいと思いますから、
今日ただ今から山下外の長腸亭でお待ちしております。
早速お出かけください。
長腸亭は、例の麻田翁
(周布政之助/桂小五郎の先輩、高杉晋作の上司)のよくいらっしゃる酒楼です。
なにとぞお越しくださいますよう、お待ち申し上げます。頓首。 楠樹生拝
(※注2)
※注1・・・同年8月15日、対馬藩江戸家老 佐須伊織を斬殺した勤皇派の攘夷志士が、桂さんを頼って来ていた事件。桂さんてば全国の志士にモッテモテ★やっぱスゴイ人だったんだ。
※注2・・・高杉の自称。号。ペンネーム。他にもいっぱい名前がある。コロコロかわる。
…どうでしょうか。私は思わずこんな図を想像してしまうんですが……
ほっとけば毎回とんでもないことをやらかす高杉。桂さんはとても心配だったと思う。
だって桂さんは高杉の保護者だもの。
これって長州ファン全員の共通認識だと思うんだよねー…
さてこの時期の高杉晋作。脱藩罪を咎められ、あやうく獄にブチ込まれそうだったところを、桂さんや周布さんの奔走によって済んでのところで無罪放免になりました。
で、先輩たちに迷惑をかけて流石に責任を感じショゲてしまったのか、
小忠太さん(晋作パパ)に叱られて反省したのか どうかは知りませんが、とつぜん勉強も政治活動も手のつかない無気力状態に陥ってしまった晋作。
晋作くん、とても桂さんに会いたがっていましたね。何か大切な相談があるようです。
それにしてもいったい、何なんでしょう
江戸っ子のいわゆるゴロツキ野郎者
…もっと上品な例えは無かったの?
しかも「寝言はこれにて幕切り」 ← 何でそんな おちゃらけてんのさ?
軽い冗談を言い合えるほど深い仲だったということでしょう。
いかにも高杉晋作らしい飄々として痛快な言い回しです。
加えて自分の不安定な心理状態を、
「ブラブラして落ち着かない、まるで酒の入っていない瓢(ひさご)のようだ」と言っていました。
↑これが高杉晋作の御愛用の瓢
高杉さんは瓢とか道中三味線とかギヤマンのグラスとかお洒落アイテムを沢山持っています。
若いお兄さんなので身の回りのものに気を遣いたい気持ちは解るなあ…。
瓢に例えるなんてイキですね…というか手紙の前半、文章のセンスいいなー!と感心します。
だって高杉はその昔(思春期の頃)、「おれは筆で身を立てる!」…とか
トンチンカンな宣言をして(…)文筆家を目指したことがあるくらいですから文章や詩作がとても上手です。それに彼の書簡は感情の高低があらわれやすくて読んでいてとても楽しい。
それにしても会合の場所がよりによって酒楼とは…。
べつに藩邸でもいいような。高杉んちでも桂さんちでもいいと思うのですが。
そんなに酒が飲みたいのか高杉。綺麗な芸妓はべらせたいのか高杉。お大尽だイケすかねえ!
※高杉晋作は汽船一艘買えるほどの藩の公金を、一夜にして芸妓遊びにつぎ込んだことがある。とにかく金づかいの荒い男なのだった…。
…とまあ、このように江戸時代の候文はたいへん面白い。漢文調の難解なものも中にはありますが
高杉晋作、桂小五郎、伊藤俊輔、久坂玄瑞などの友達同士の手紙のやり取りだと、会話文のように平易だから私のような古文読解のための正規教育を受けていないに等しい(せいぜい高校センターレベル)、駆け出し幕末ファンでも意外と読めてしまいます。というかねー候文古文漢文なんて、馴れですよ!馴れれば何てことないんですよ。ニュアンスで読めればそれでいいよ
まぁ…慣れるまでが…
まぁ…。
タイヘンだったり…
するんだけど…・
……。

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