
のぼさん命日につき
(正確には19日の深夜一時ごろですが)墓参してまいりました。ちなみに昨日(17日)がのぼさん誕生日でした。おめでとうございます。
正岡子規命日「
糸瓜(へちま)忌」は、芥川龍之介の「河童忌」、太宰治の「桜桃忌」と並び、ちょっと珍しい名称で呼ばれる文士の命日で知られています。
根岸駅ほど近いところに存在する「子規庵」(正岡子規旧宅)
明治27年2月1日から、子規が脊椎カリエスで病没するまでの8年間、妹の律と母の八重さんと3人でくらした場所です。
敷地はおよそ55坪で、その半分以上が庭。狭いです。
私はたしか、去年の5月頃お邪魔しました。
雑然とした建物の中に埋もれたかたちで佇む、その小ぢんまりとした母屋は、まるでそこだけ明治という時代に取り残されたような印象を受けました。
■出て見れば春の風吹く戸口かなその戸口より出て縁側にのぞむと、庭には糸瓜棚が設けられており、季節になれば、長細い糸瓜が天井からぶらさがる光景を眺めることができます。
家の半分以上を占めるその庭には、種種さまざまな植物が植えられており、一年をとおして移り変わる、美しい自然の表情を見せてくれるのですね。
病床の子規は、この庭をながめ、多くの句を残しました。
その中にはもちろん、糸瓜を題にとった作品もたくさんありました。
■をとゝひのへちまの水も取らざりき
■糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
■痰一斗糸瓜の水も間にあはずこれはのぼさん絶筆の糸瓜三句。
この句をしたためたその日の深夜に、子規は亡くなるのです。
その揮毫の様子を、弟子の河東碧梧桐が「君が絶筆」と題して書き残しています。
病苦と闘いながらも俳句界の革新に貢献し、文人として人生をとおして「書く」ことをやめなかった子規の絶筆のようす、
糸瓜咲て・・・痰のつまりし・・・仏かな
を書き終えると
「
横を向いて咳をニ三度つづけざまにして痰が切れんので如何(いか)にも苦しさうに見えた。 」、
続いて残りの二句も書き、筆を投げ捨てるように置いた。
と妙にリアルで、少し血なまぐさくもありますが
これが子規の最後に筆をとった瞬間なのでありました。
■ごてごてと草花植し小庭哉「
花は我が世界にして草花は我が命なり」と宣言した子規の
植物を愛でる心を知ってか知らでか、現代のファンや俳人らの手によって
子規の墓前はうつくしい花で彩られており、私もささやかな贈り物として
きれいだと思った花を数輪、買ってお供えしてきました。

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