退助「わが殿は、わが土佐藩は…因循……ッ!」
中慎「何も泣かんでもええがじゃろ~;(オロオロ)」
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土佐藩上士の乾退助と、同藩郷士の中岡慎太郎
薩摩の島津久光・越前の松平春嶽・伊予宇和島の伊達宗成・土佐の山内容堂…いわゆる四賢老によって催された尊王倒幕会談を、山内容堂だけがすっぽかして、くにに帰ってしまった(なんか歯が痛い?とか言って弁解してた気がする)
そのとき世論はけっこう容堂に辛らつで(^^;
ゆんべみたみた五条の橋で~…の俗謡は、そのとき五条橋を通って地元目指して逃走する土佐藩をあざけった唄なのです。「丸に柏の尾」…は土佐藩の三つ葉柏紋(余談だけどこれは三菱グループのマークの起源ですね。三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎は土佐藩士だったので)
乾退助は特に容堂に可愛がられていたので、世間の容堂バッシングがつらくて堪んなかったろう。
このころは竜馬の盟友・中岡慎太郎とも交友があり、尊王倒幕に開眼してたので、藩をあげての倒幕体勢に逡巡する容堂公を縷々説得しようと躍起になってたようです。なにかと苦労が多い人だと思…退助も
維新後は「板垣死すとも自由は死せず!」で有名な自由民権運動家の板垣退助です。
セリフかっこいいのに死にそびれた。かっこわるいね。
というか、なんでこの人政治家になったのだろう?政治なんかできる人じゃないし、ちっとも向いてないよ。戊辰戦争の勲功あるんだから陸軍の軍人になったほうがよっぽど賢かったと思うのです。
陸軍は長州閥が牛耳ってたのでやむを得ず政治家になったのかな…で、伊藤博文に騙されて洋行したり政府からつまみ出されたりで結局野に下ってるし…
個人的には好きな人ですけど!直情的なところが
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