熊本で大きな地震だと?みなさまご無事でしょうか?熊本城は一部崩壊してしまったとか…
(まあ昔、児玉源太郎が放火したせいで明治期に全焼したことあるけど。。>熊本城)
九州一帯、ひきつづき注意してください
はい。まだちょっと続けさせてください~近代史妄想
まずいな・・女っ気のないBLOGになってきた~もうちょっとしたらおんなのこの絵も描かないとな~

これ私のなかでほぼ一番お気に入りといえる大久保公萌え逸話なんですけど・・ほかの歴史サイトさんではこのダンスの逸話あんまり取り上げられてない?ようなので、自分で萌えを補給。
大久保公にダンスさせた薩摩の何とかいう人 グッジョブです!!
いつもクールで何事にも動じない大久保さんが、女子とダンスするなんて(…というよりことに硬派で女性を寄せ付けないはずの薩摩男児が、公衆の面前で女子と絡むなんて…)…なにごとじゃー萌えるんじゃーうおおー
いつかは描きたい絵にしたいとずっと思ってたので、この幕末明治熱の勢いで漫画にしてしまいました(^_-)-☆ でも、燕尾服描けない。。。画力ない
以下の逸話 自分のためのメモなので適当に改行・一部編集してます。
【洋行中の公】 久米邦武氏談
大久保さんとはあの旅行中は始終一緒であった。…(中略)…
なにしろ大久保さんが恐ろしいので、途中でも宿へ着いてからでもあまり福地(源一郎・桜痴)なんかは傍へは来なかった。今の林(董)伯なども伊藤(博文)さんたちと一緒だった。それに伊藤さんはなかなかの色師で、福地なんかと一緒に美人でも探していたのだろう。伊藤さんでも大久保さんはよほど煙たかったに違いない。
洋行中に公の口を開いたのは数えるほどしかない、それほど公は無口であった。
洋行中に大久保さんに口を利かせようと種々(いろいろ)な悪戯(いたずら)をたくらんだ者もあったが、いよいよ大久保さんの前へ出ると威厳に打たれてなんともできなかった。私は知らないが、なんでもエジンボロで薩摩の何とかいう人が、大久保さんに一つダンスを行(や)らそうと言って計企(たくら)んで、宴会に引っ張り出したことがあるそうだ、その時には娘か何かにどうかあの大久保という人と踊ってくれないかと懇々頼んだので、娘が引きずり出すと、大久保もとうとう立ち上がって踊ったそうだ。私は見なかったが、大久保公生涯の珍事であろう。
(明治四十三年十月二十五日)
語ってくれた人:
久米邦武←このひと米欧観覧実記とかいう岩倉使節団に関する著大な文書を残してくれた人ですが、ほんとに良い仕事してくれた人です!!木戸さんとも大の仲良し。
『米欧回覧実記』は岩波文庫から全巻出ているけどいったい誰がこれを買うのかと常々…(でも買ったけどね私…)
ちなみに上記の逸話は佐々木克監修の『大久保利通』から引用しています
大久保さんの死後、友達や家族あるいは政友などから集められた逸話をまとめた良書です。私はこれ6年くらい前に買ったんだけどこの本読んで大久保さんほんと好きになりました 巻末には大久保さん年略譜ついてて見やすく有用な歴史史料です。
あと先日読了したこれの書評でも少し書いておこうかな↓↓
わーい、長州ファイブの本だ~^0^ と思いながらニャつきつつ書店で購入。
著者は歴史学者ではないので、まあ一般向けの平易な本でした(ちょっと物足りないなー
でも伊藤博文と井上馨の交情なんかが記載されたりして…ちょっと胸きゅん・・・
井上馨が、藩公(毛利世子)に「オレ、英国に密留学行きたいよ~!!(ジタバタ)」言ったら
「お前ね…自分の奉公している殿様に、そういうワガママ、直接言うなっつーの。密・留・学・だろ?いくなら極秘で行けっつーの。」
って藩公からちょっと怒られてて可愛い(笑)
そういえばモンタ(井上馨)は後年、何かの回顧録で
「オレは自分んとこの藩主から愛されてたから、ちょっとくらいならワガママも言えたんだぜ~」
的なこと語っていたような気がする
にしても藩主に「国禁やぶりたいんで金ください」とか言えるのは、コイツだけだと思います。。食えない男やな~まあそこが良いところなんだけど…。

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