我々の最高の幸福ないし至福は神に対する認識にのみ存在するのであり、我々はこの認識によって、愛と道義心の命ずることのみをなすように導かれる。…我々は運命の両面を平然と待ちもうけ、かつこれに耐えなければならぬのである。三角形の本質からその三つの角の和が二直角に等しいことが生ずるのと同一の必然性をもって、一切のことは神の永遠なる決定から生ずるのである。
神即自然!!
キリスト教的神を否定するこの思想はスピノザの生涯に一貫している。
この思想がゆえに彼はユダヤ教を追放されたり暗殺されそうになったり親友を殺されたり死ぬまで居住地を転々としなければならない人生ハードモードを余儀なくされた。
はたからみるとどんな人よりも不幸なのに作中、人間は幸福になるためにどう生きればよいのか縷々述べ立ててあって妙に泣ける。。
要約すると、万物の根本的原因である神(=森羅万象全て)を認識すること、その神への知的愛こそが人間に最高の満足と幸福をあたえる~…とかなんとか。
いやほんと無心に神を愛せたらいいなー理性で感情を抑制できたらいいな~と思いますよわたしもー
でも日常で神のこと考える余裕あるか??ないよね! 生きるのに必死だよ!!というか人間にとって目の前に存在する些末な問題のほうが大ごとであって、本当に困窮している人はそもそも、神とか自然の摂理とかを想っている余裕がないよ…
『すべて高貴なものは稀であるとともに困難である』
エチカは最後この言葉で締めくくられているのだけど、スピノザは自身の論がいかに実現困難かわかっていたのかもしれない。
結局人間は(凡人は)、目先の欲求に従い感情にふりまわされて一時的に幸福になったり不幸になったりを繰り返す運命にあるんでしょうね。。翻弄され続けるんだ。。
「自己満足」は理性から生ずることができる。そして理性から生ずるこの満足のみが、存在しうる最高の満足である
ところで↑この言葉からは、なんか勇気を貰った気がしますー
日々、お絵かきと妄想(自己満足)だけで生きてますが、それって寧ろ最高に幸せなことだよねこの幸せを楽しめば良いじゃないかー誰に恥じる必要がある?
と自分を納得させる都合のよい解釈しちゃいます。
でもたまに我にかえって「自分なにやってんの…」と虚無感に襲われるのは本当どうにかしてほしい。
いかんいかん。 神を認識し、愛さねばならぬのだった!