昨日描いた絵

ワーニャが出かけようとすると決まって悲しむネリーの愛らしさは異常
ワーニャが帰宅するまで玄関のドアの前で待ち続けるネリーの健気さに激萌
あ、カテゴリに「ドストエフスキー文学」を追加してみました。更新は漸進的だと思いますが、今後増えそうな予感がしますので…。
ドスト文学には哲学っぽい堅苦しさが無いのがいいなぁ。情熱的っつーかテンション高いうえにキャラ立ってるうえにセリフが長いからだろうか。読みやすいし実際ノメり込んだら短時間で読了できるお手軽さ。愚直に「萌え!」と叫んでも良い文学のような気がする(…)。
というか ライトノベルくさいんだよなあ…ドストに限らず大衆(通俗)小説と呼ばれるものは総じて、どこかライトノベル──キャラクター小説っぽさがあると思います…。
人生というものは、『荘厳ミサ曲』のような曲ではなく、粗悪な音楽によってずっと上手に描写されるものなのです。芸術は私たちをからかい、私たちを安心させ、芸術家が望んでいるような世界がどういうものかを見せようとしている。それに対して、通俗小説というのはふざけている振りをしているが、その世界をありのまま、あるいは少なくとも、そうではないかという状態で見せてくれる。そこに登場する女性も、あのボヴァリー夫人よりかはもっとミレディーに似ているし、あの怪人フー・マンチューのほうが賢者ナータンよりもずっと現実的な人物です。それに歴史だって、シューが語っている世界のほうが、ヘーゲルが史的唯物論で試みたものよりもずっと現実に近いのです。シェイクスピア、メルヴィル、バルザック、ドストエフスキー、すべて大衆小説を目指したのです。実際に起こったというのは、これらの大衆小説が事前に語っていたことなのです。
ウンベルト・エーコ教授がこんなことを言っていたよ。
エーコで思い出したけど、計見一雄先生
──精神科医師で精神科救急医療という分野の開拓者──の著書
『脳と精神─大人のための精神病理学』という本を今 読んでいるんですが、それにウンベルト・エーコのベストセラー小説
『薔薇の名前』の話題が上っていてビックリしましたよ。
たしか、欲望と記憶の二重性を説明するために挙げていたと思う。薔薇の名前って およそ欲望と呼べるものは殆どすべて出てきますものね・・・異性あるいは同性への性欲、知識欲、物質欲、支配欲 etc
ところで精神病理学ほど哲学に近い理系科学って無いわと思う今日このごろです。
そもそも 私のような 文学・哲学・歴史が大好きな、超文系人間が
敢えて医療・科学という理系の道を目指したのは、
高校時代にトーマス・マンの
『魔の山』とか、養老孟司の
『唯脳論』を読んで心の病理学の世界に毒されたからであった。
(そんなわけでこれらは私の人生にもっとも影響した本といえる)
分子生物学(遺伝子、DNA)を煎じ詰めれば、ゆくゆくは精神(脳)に関する学問…つまり脳外科、神経内科→精神病理学へとつながるのは
『精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』で評論家の立花隆先生やノーベル賞科学者の利根川進先生が仰っているとおりです。

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