司馬小説のなかでも『翔ぶが如く』は折々読み返すようにしているのですが
どうも私の萌えが閣僚の陰謀だとか画策だとかの政治的ドラマに集中しているため、
7、8巻以降の西南の役を読みとばしがちです。
だって戦争は…萌えないんだもの。。だって戦争は悲劇だもの!

薩軍の将校タチ。
(薩摩人ほんっとうに滅多に描かないよ。ていうか殆ど初描きでした。→
各人物)
村田新八が持っているのはアコーディオン
村田さん割と藝術肌で音楽が大好き
(帰宅したらずっとアコーディオンをブーブー鳴らしてたし戦場でも絶対に手放さなかったそうで)
漢詩や和歌も数多く残っているようです。軍人というよりは文人寄りだったのかな?
そもそも『翔ぶが如く』のメインテーマって西南戦争とそれに至るまでの日本史のながれであって、
廟堂の権謀術数に重きがなされているわけでは、ないのですよネ…
私は非常に重要なぶぶんをとりちがえている。
たぶん幕末維新ファンにとっての“近代(革命)戦争”=戊辰戦争なんだけど(私も昔はそう考えていた)
歴史家のなかには
「西南戦争こそが日本史上初の大規模近代戦争であり、日本の近代化への寄与度は戊辰戦争よりもはるかに高い」
と、言うひとも多いのではないか。てことを最近よく考えています。
なぜなら戊辰戦争は始まりと終りがとても曖昧で
各地で頻発していた小規模戦の意義も確固としているわけではなく
ただ なんとなしに火薬庫に火がついたのを触媒作用にして
自動的に始まって広がって終わった……という、フシが、あると思うのです。
それに比べて西南戦争は薩軍にとっても熊本鎮台(政府軍)にとっても
戦争するための、れっきとした大義名分があって
(政府軍には「反乱分子の制圧」薩軍には「西郷暗殺(未遂)事件の詰問」)
戦争の始まりと終りもハッキリしているし
フランス式陸海軍制度の導入と兵学・兵器の発達で戦闘を体系化可能であった点
近代化賛成派・反対派などと対立の構図がはっきり見てとれる点でも
近代戦争としての意義は大きいのではないかな、と思います
でもま、戊辰戦争が 産みの痛み を伴う戦争だったのは事実。その必然性もまた周知のとおりです。
なんてアイロニー
