拍手ありがとうございますv
好きなものだけ描き散らかして、自分のストレス発散のはけ口にするためのBLOGなので、
真面目にお絵かきすることなど皆無ですが、こんなんでも見てくださっている方がいるのだなーと思うと、
何か急に恥ずかしくうれしく申し訳ない気持ちになってしまいます。
いつもありがとうございます。><
今回、腐女子の煩悩丸出しで大変見苦しく仕上がっておりますので、
賢明なる閲覧者の皆さまの御怒りを買ってしまうかもしれませんが、どうかスルーしてくださいませ。
以下歴史ログ(腐女子度高め)(興味ない方スルーしてね!)

兵部省内の三角関係(妄想) ほんと好き(笑)
西郷従道は年下攻めだと思います(不敬でごめん)。
西郷従道・・・西郷隆盛の16歳年下の実弟。兄のほうを大西郷というのに対し、弟は小西郷と称されていました。
きっと西郷どんや大久保(利通)さん、たくさんの同郷の士達から、めいっぱい愛されて育ってきたのだろうな。そのせいか大人になっても抜けきれない甘え上手な年下弟体質…。
西郷隆盛が西南戦争で死んで、大久保さんも紀尾井坂で暗殺されて・・・小さいころから親しんできた『お兄ちゃん』たちが、次々斃れていくなかで従道は、兵部省内の直属の上官である山縣に依存するようになったのかな~と。
ガタ公も(ふだん部下から好かれ慣れていないので)擦り寄ってくる従道やら桂太郎を憎からず思っていたり。
口うるさくて細かい性格の山縣がなんだか “陸軍の肝っ玉母さん” に見えてしまいますwwほのぼの~
ただのラクガキ。なんか色っぽい絵を描きたい…と思っていたんだけれども、うまくいきませんでした。
木戸孝允日記には、しょっちゅうお風呂のことが書いてあります。
「温泉に入って、痔がよくなった♪」
とか恥ずかしげもなく書いてるあたり、木戸さんが凄い偉人なのかただの天然ボケなのかよくわかんなくなる(笑)
でも確実に、あの日記が後世の人たちに読まれること自覚してなかったよね。
腐女子のネタにされることも自覚してなかったよね……www
セリフ多い(笑)読みづらくてすいません
木戸と大久保の痴話喧嘩は明治政府の風物詩だよね^ー^v
大久保「どうか曲げてお頼みします。木戸さん、私と参議になってください。木戸さんほどの大人物が政府を去る事は、この国にとって最大の不幸です。」
木戸「思ってもないことを言わないで下さい!!私が今までどれだけ、忍び難きを忍んでやりたくもない仲居の周旋役をつとめてきたか…。……もう、放っておいてくださいよ…(涙にじませながら)」
大久保「そうはいきません。この国難の時期にあって我が国は……クドクド(縷々説得する)」
木戸「あ!俊輔(=伊藤博文)!ちょっとこのねば口(しつこい人)どーにかして!!」
伊藤「! えー(めんどくさぁ…)」
大久保「…伊藤君、君からも木戸さんに言ってやってくれないか」
伊藤「大久保先生、それは無理ッス…」
大阪会議ちょい前くらいの妄想。徳富蘇峰の『明治三傑』読んでいるとこういう妄想が止めどなく湧き出てきますw
少し抜粋めも。
大久保は本来の政治家である。…彼は人を政治上の道具として使用するばかりでなく、また人を人として使用するの道を解していた。彼は来(きた)るものは拒(こば)まず、去るものは追わずというではなく、賢才(けんさい)の士は自ら求めてこれと交わり、彼より遠ざからんとするものも、いやしくも国家有用の材と認めたる時には、自ら節(せつ)を屈してこれを追うことさえもあえてした。すなわち彼が始終木戸を追い廻して、木戸の死に至るまで木戸を離さなかったのは、その明らかなる証拠である。
木戸さんを追いかけまわして死ぬまで手放さなかった大久保さん。こわいっすw
結局木戸さんが折れてしぶしぶ政府に戻ってきたけど、
そのあと間もなく まーた辞表提出して逃げましたww 大久保さん心労で円形ハゲ悪化しそうww
近況報告
本棚壊れた
うええ
手前と奥と文庫本ぎっちぎちに詰めてたので、重みに堪えられなかったようです。
ごめん棚。これどーやって修理すればいいのだろう?
修理のため下段の本も避難
歴史史料コレクション(の一部)ですっ…★これだけでウン十万は金つかってる
日本という国は、(私のような)オタクが経済市場を回しているのだなあ・・しかし浪費しすぎ
これは・・・笑
『月刊 松下村塾』こんなんもあったよねw 12年前のマニアックな月刊誌・・
久坂玄瑞のクリアファイルもらったなあ。懐かしい。運営の方、その節はありがとうございました。家宝にしてます!
修理そっちのけで本いろいろ読みだして止まらなくなってしまいました^^;
さーて今から作業にとりかかるぞ☆彡

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