港区の
乃木神社へ行ってきた。

乃木神社に祭祀されている
乃木希典(陸軍大将)は日露戦争において堅牢な旅順要塞の攻略にあたった第三軍(乃木軍)の指令総督で、日本では「軍神」として崇敬されてます。
乃木さんは二人の息子を同時に戦争で失い、なおかつ乃木さん自身も
明治帝崩御のさい後を追って自宅で殉死しています。その人生はドラマチックな悲壮と精神美にあふれ、明治最後の武士道をつらぬいた武人といえるでしょう。さらに乃木さんは優れた詩人で、後世までのこるすばらしい漢詩をいくつも残しています。
そういうとこが大衆の人気を得るのに一役買ったといえるでしょう。
私の祖母は乃木さんの大ファンで、よく「にっぽんの~乃木さんが~凱旋す~♪」という日露戦下の軍歌を歌い聞かせてくれました。世代を感じますねぇ。
そーいう色々のことをふまえて、読みおわたので感想↓
司馬 遼太郎 / 文藝春秋
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「
筆者はいわゆる乃木ファンではない。」
と断言する司馬遼太郎の、まさかまさかの
乃木さんぶった斬り本!ファンこそ読みたいアンチ乃木本。
乃木は独逸留学以来、軍事技術よりもむしろ自分をもって軍人美の彫塑をつくりあげるべく、文字どおりわが骨をきざむがような求道の生活をつづけ…(略)…その求道性もかれ一個のストイシズムのなかに閉鎖されすぎており…(略)…かれはもともと自分の精神の演者であった。
ここで注意したいのは、
司馬先生が「精神」という言葉を口にするときしばしば「揶揄」の意で用いられることがあるということです。
上記引用文にいう「精神の演者」とはようするに、「乃木希典は軍人美を追求して精神論ばかり振り回すだけで軍事的能力に関して言えば三流だ」という意味です。つまり
能無しです。
(何がどう能無しなのかは、本書か もしくは『坂の上の雲』を読むことをお勧めします)
ただ乃木さんを「精神の演者」たらしめたものが一体何であったか、というのがこの小説の眼目といえる。
で、個人的に注目したのは山鹿学的
陽明学だった。
陽明学は、「
動機の至純さを尊び、結果の成否を問題にしない…最後には身をほろぼすことによって仁と義をなし、おのれの美をなす」ことをその思想としているわけですから、もともと軍人には不向きな詩人気質の乃木さんには何か感じるところがあったんでしょう。
しかし一軍の将たる者が「結果の成否を問題にせず」いたずらに兵を敵地へ送り込み、結果として6万という膨大な数の日本兵の死体が二○三高地にうず高く積み上げられることになったのを思えば、乃木軍司令部の軍事能力の責任を問わずにはいられないでしょう。
旅順に散った無念の霊魂たちのために司馬氏は、憤りをこめて乃木軍司令部の無能を糾弾しているのです。
余談ですけど、陽明学・・・。
幕末の維新志士には陽明学の徒はたくさんいましたよ。吉田松陰先生だってそうじゃないですか。
村塾の子らも陽明学を師からしっかり学んでますよーだって塾で使ってた講義テキストに『大学』(という陽明学の書)があったもの。
他には…
頼山陽は陽明学派の巨魁。息子の
頼三樹三郎は安政の大獄で刑死してますね。
西郷隆盛も気質は陽明学派ですよね。
陽明学は
「結果がどうなろうがかまわない!自分の信じた正義を行う!」ことを主眼としているので
攘夷志士はこのために暴走しやすいよね。
ちなみに私は、乃木さんは、好きですよ。
彼は純粋すぎるので、責任を追及しようという気になれないのよね;;不思議と。
だけど参謀の
伊地知幸介はちょっと…彼こそまさに無能なのでは…
余談の余談で、ブンガク語り。
乃木希典の殉死事件は明治文士に少なからず影響を与えました。
夏目漱石の『こころ』…苦悩に満ちた日々を送り、過去の一切の始末をつけるために自殺する「先生」は、乃木希典を下敷きにしているよね。あと短編だけど『趣味の遺伝』にも乃木さんが出てきた(ように記憶します)。
森鴎外は、それまで書いてた現代小説から、『殉死』をテーマとする時代小説に転向するしね。
内田百閒の『旅順入場式』や、芥川龍之介の『将軍』も乃木さんのこと書いてるよね。明治~大正文士の小説には乃木さんがよく登場するよ…。
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このへん、乃木さんファンなら読んでおきたい小説

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