
戦利品の数々
先週日曜日に催された文学好きによる文学好きのための同人誌即売会…文学フリマ。
行ってまいりましたアキハバラです。
今年は今年でまた地味な盛り上がりよう。
毎年来てたはずの大塚英志氏、来てなかったけど、どうしたのかしら…お忙しいのかな?まぁ私は午前中にちょっと見て帰っただけなんで、午後から来てたのかもしんない(わりとプロの小説家さんとか来るんですよーイベント自体はすっごく質素なんですけど笑)
いろいろな本を手にとって内容を吟味してみたり…出品者様と和気あいあいとおしゃべりしてみたり…と、たのしいひと時を過ごしました。
ふだん文学について語り合える知人なんていませんからね(泣)思うさま文学談して日ごろ抑圧された感情を解放する…といってもこの日は他に用事があったんで、そこまで長居できなかったです。残念。
買った同人誌の中でもこれは、と思った逸品→『戦争文学がこんなにわかっていいかしら。』
本書では多数の戦争文学(小説)をあげて数人(サークルのメンバー?)でディスカッションしたり、ひとりひとり評論なんかも書いておられます。
ココのサークルのメンバーが全員…、超☆個性キャラで、ものすごく面白かった!笑った!!(うわーもっときちんとご挨拶すればよかった。ファンになりました。)笑いをとりつつも内容はちゃーんと格式高いんだー。
戦争文学。って、私がよく読むような時代小説なんかもいわゆる戦争文学に該当する(そうでないのもあるが)んですよねー本書では司馬遼太郎の『坂の上の雲』なんかも話題にのぼってたりして…坂の上の雲、マジ名作よねえ、司馬氏の小説のなかでも『竜馬がゆく』と双頭の名作ですよねー!!(話が脱線している)
戦争文学っていうのは、私は根底に共有するテーマが「歴史の反省」であると思うんですけど…たとえば「アジア主義」とか「大東亜共栄圏」とか「靖国問題」とか考えますと、
「アジアの発展のために台湾や大陸に渡った日本の青年たちが大勢いた」ことを知ってるし、敬意を払いたいとも思う。が、そんな彼らをヒロイックに扱った小説を読んだとき、そこに内省がないと不自然に感じる。
内省というのは、アジアの発展とは支配側(日本)の論理による禍福でしかないという自覚をもつことです。
亡国の危機にひんした人々(韓国とか特に)が舐めさせられた苦汁の日々や、民族の痛み、それが現代までも生々しい傷跡を残していること
を無視した小説はとうてい戦争文学というに足りないと思う。
わたしにとって価値の判断基準は究極そのへんですねー。戦争文学については。

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