明けましたね・
2010年初の絵を投下(新年早々 歴史妄想でごめん)

高杉晋作 & 伊藤俊輔 & 桂小五郎(プンスカ=3)
高杉「正月じゃ酒じゃ女じゃー!!俊輔、おぬし酔いが足りぬようだな・・
飲め!浴びるほど飲め~!」
伊藤「ギャアアやめてくださいほんと 困ります!うぐぐ、か桂さん助けて…」
桂さん「こらっ、晋作!!弱いものいじめをするなと、あれほど…(クドクド)」
なんて。
俊輔(のちの総理大臣・伊藤博文)ってこのころは高杉晋作の子分だったり
藩士としての立場上、桂さんの下僕だったり(桂さん自身は、「僕と俊輔の立場は平等だ」と仰ってたようですが…)して
仕方なく小吏の身に甘んじていたふしがあったけれど、後年の彼の臆面もない上昇志向は、この若輩(使いっぱしり)時代の鬱屈した精神から派生しているような気がします。
まぁ俊輔の場合は幼少時代から手習いの合間、半紙にダルマのひっくり返った絵を描いては
「これが太閤秀吉である★ミ」
…なんて言って、底辺から成りあがり天下を取った秀吉に、自分の姿を映していたという逸話が残っているほどだから
よほど功名心のつよいこどもだったのでしょうけどね。
貧困から生じるハングリー精神ほど出世に役立つものは
ないのかもしれません。
以下は個人的な備忘録
父方の実家が岡山県の津山という地方にあるのですが
江戸中期~幕末にかけて割と著名な文化人や政治家を輩出した土地なんですよ。
で、以前から気になっていたため正月帰省した際、ちょっとした歴史散策をしてきました。
箕作阮甫旧宅
蘭学者・みつくりげんぽ さんの家
岡山で蘭学者て印象としてはあまり結びつかないんですが…意外といるものだねえ!
でも、
イネちゃん(シーボルトの娘。蘭方医で日本初の女医さん)は
一時期、岡山でお医者の修行をしていたし、シーボルトのお弟子さん歴々も
岡山にけっこう居たようなので、蘭学者も珍しくはないのかもしれません。
(奉還町商店街のあたり‘オランダ通り’があるしね)
山田方谷は幕末の陽明学者。
この方は司馬氏の時代小説にたまに名前が挙がる程度なんですが
ワテクシ同郷人と知ったのはつい最近ですのよ。
一昔前の岡山県では知らぬ人ぞなき有名人でしたが
最近の岡山県民は知らないかもしれませんね、陽明学って…ナニか太平洋戦争くさいし ( 偏 見 )。
戦後教育の中で陽明学が消えていったのは事実でございましょ?;
板倉勝静は司馬小説に頻々と名前が出てくる幕府の要人です
彼はほんとは凄いひとなんですが
運がなかったんだと思います(王制復古・版籍奉還・廃藩置県)
世が世なら名宰相たりえたでしょうに。。
彼の時代が到来するまえに幕府が瓦解したのですから あまりにも不憫(^^;

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