
流行ってると聞いて。→
記事ほんとは最初期のグリーン先生が一番好きやけども・・・
ところで今は しぶさわえ~いちの本 よんでます
渋沢栄一――社会企業家の先駆者 (岩波新書)岩波新書の、このドギツイ緋色の表紙! 手に取るだけでワクワクするわい。
しかし・・・経済・・・わからんとです・・・太政官札ってナニ?…不換紙幣って…え~~…(困惑
色々不勉強で四苦八苦しながら読んでいますが(金本位制に関しては城山三郎の『男子の本懐』でちょろちょろ勉強していたお陰か わりかしスムーズに入ってくる)しかしまあ我が知識の断片的なこと…史料も自分の好きなのだけつまみ食いの独学でやっているものだから、一寸専門の話になると忽ち着いていけなくなる
で、渋沢栄一…あらゆる企業を創設してきたエコノミックアニマルなイメージだったんだけど、かなり情に厚くマジメで働き者で愛国心の強い方です。あと一番すごいなと思うのは、危機管理能力の高さ…当時の明治政府の要人に(わりと)欠如していた能力だと思うんですよね、それ。笑
貴重だ…貴重な御仁だ・・・
ていうか渋沢さんの木戸評やたら評価高くて笑っちゃった
以下メモ
渋沢が後世に記したものの中に維新の元勲の人物評がたびたび登場する(『青淵回顧録』『論語講義』(1)(2))。
…木戸孝允に対しては、「器の大きい……大人物」「調和性に富んで」「考えたり行ったりすることが組織的」「平和論者」「比較的敵が無かった」「尽忠憂国の立憲政治家」「よく言いよく行う人」「仁愛の方に傾かれたご仁」「下問を恥じずという徳を備えられた方であって、好んで人の言を容れられた」などの言葉が多く割かれ、極めて評価が高い。
渋沢さんあなた木戸さんのことどんだけ愛しているの・・(笑)
その一方で大久保利通に対しては「策略に富んだ人」と評価しつつも、陸海軍の経費問題で「ある時大久保公と衝突してからは……何となしに嫌いな人だと感じていた」「余の嫌いの人で、余は酷く侯に嫌われた」と決定的ともいえる対立関係にあったことを隠さない。「自我の強い人」などの言葉も見え、「全く底の知れない人」と肯定的ではない人物評である。…
あー大久保さんと陸海軍の経費で喧嘩っぽくなっちゃったんですね。。
そういえば『木戸日記』の某日で
「今日、大久保さんがウチ来て色々話したけど大蔵省(財政)のことで何かボヤいてた云々」(←うろ覚え)
みたいなことを木戸さんが書いてまして…(大久保さん自信にも『自分は財政に疎い』という自覚があったようですが)もしかして大久保さん、渋沢と喧嘩して、木戸さんに文句言いに行ったのか?仲いいな!
大久保以上に渋沢からのマイナス評価がはっきりするのが江藤新平である。「自我の強い」「性急(せっかち)な人」「残忍に過ぐる方」「博覧強記」「独断専行」「一旦言い出したことは無理でも通し抜く人」「人の邪悪な点を看破するに努め」たと、これ以上ないほどの批判的な人物評が続く。留守政府時の江藤、使節団帰国後の大久保ら積極財政論者たちとの強烈な確執を想起させる。
ETOさん!!!!!悪口いわれすぎい!!!残忍すぎるって言われてるけど、なにごとよ
ETOさんはただのお茶目な方向音痴だぞ★彡
積極財政路線と共に対峙した井上馨には「元来感情家」と言いつつも、やはり「機敏の人」「見識も高く」「磊落な」「人を用いるには、まずその人物の善悪正邪を識別するに努められ、それから後に用うべきを用いた」とプラス評価が高い。井上にはこの当時の尾去沢銅山事件や小野組転籍事件などの嫌疑で糾弾されたように、癒着や不正のうわさが絶えなかったにもかかわらずである。
聞多(モンタ:井上馨)渋沢さんから割合好かれてたみたいですね~。あやつと同調するなんて渋沢も元気なはっちゃけタイプの性格だったんだろうな。モンタは「気のいいアニキ★」って感じで渋沢から懐かれてたっぽい。
いやーそれにしても旧幕臣のわりには長州寄りですね~渋沢栄一
てかこの人ほんと行動力ありすぎる あらゆる会社(電気ガス鉄道繊維産業etc…)の代表取締役および筆頭株主的なことやってるし企業だけでなく福祉とインフラ整備にも手を出してるし国立第一銀行(現みずほ銀行)作ったし大蔵省官僚だしで、
寝る暇とか、本当に、あったんでしょうか~?
不思議。。勤勉というレベルをはるかに超えてる。
人間の活動の限界を超えてる…なかなか掴めないなあ。渋沢栄一。

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